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〈月間平壌レポート〉 北南関係進展に期待

 【平壌発=姜イルク記者】6月の平壌はやはり統一ムード一色であった。14日から16日まで、北、南、海外の代表らと北南当局代表団の参加のもと平壌で盛大に行われた6.15共同宣言発表5周年記念民族統一大祝典(6.15統一大祝典)。成功裏に幕を閉じて数日が経った現在、市民らはその余韻にひたりながら、良好に発展しつつある北南関係を肌で感じ取っている。

新義州行の列車で

そろいのレインコート姿で開幕式に参加した南側代表 [朝鮮中央通信=朝鮮通信]

 私事で20日から21日まで中国と隣接する国境都市、新義州市を訪れた。

 席をぎっしり埋めた平壌発新義州経由北京行きの列車には、偶然にも顔見知りの統一部門関係者が乗っていた。表情はとても明るかった。

 彼は、今回の大会が7千万全民族の統一大祝典だったと振り返りながら、その意義を強調。南の関係者が8.15光復節に際して南側地域で予定されている統一行事を今回のように盛大に開催できるかと心配していたことを誇らしげに話していた。また、金正日総書記と会見した南の鄭東泳統一部長官一行が満足しながら帰路にたったことをあげ、北の関係者は彼らが統一のためによりいっそう活躍することを期待していると話していた。

 隣の席の乗客らも6.15統一大祝典の話題で盛り上がっていた。その後に予定されている第15回北南閣僚級会談、8.15行事などを予想しながら、今後の朝鮮半島情勢を楽観的に展望していた。

 今大会の開閉幕式や民族統一大行進、民族統一大会、スポーツ遊戯競技などの大会の模様は、朝鮮中央テレビが繰り返し放映し、労働新聞など各新聞も紙面の多くを割いて報道した。金正日総書記が南の統一部長官を盧武鉉大統領の特使として会見した報道は、テレビ、新聞ともに破格の扱いだった。

 新義州で出会った人たちも6.15統一大祝典の感激を共有し、統一に向けて大きく前進している現実を肌で感じ取っていたようだ。

初めてづくしの6月

統一大祝典閉幕後に行われたスポーツ競技で手と手を取り観客の声援にこたえる北、南、海外の代表ら

 統一大祝典開幕式に先立って行われた民族統一大行進は、雨が降るなかで行われたため、代表ら全員が準備された紺色のレインコートを着用した。

 北、南、海外の代表らは地域別、団体別にユニホームをそろえたりするので服装はバラバラだったが、行進の時は紺一色に染まった。まるでひとつになった民族の姿を誇示するかのようだった。

 代表らの服装が「統一」されるのは、1990年からの8.15汎民族大会から数えてもおそらく初めてのことだ。

 今回の大会を含めて6月の北南関係を振り返ってみると、分断史上初という出来事が少なくなかった。

 6.15に際して統一行事が平壌で開催されるのは今回が初めて。また、北と南の当局が民間の統一行事に直接参加するのも初めてのこと。今までは行事を後押しするにとどまっていた。

 さらに、21日からソウルで始まった第15回北南閣僚級会談の北側代表団が西海直航路でソウル入りするのも初めて。以前は中国・北京を経由していた。代表団の規模も閣僚級会談史上最大だ。ちなみに今回、閣僚級会談北側代表団のなかに女性が含まれていた。これまた初めて。さらに、初めて円卓会議の形式が取られ、融和ムードが演出された。

 昨年7月、南当局が民間追悼代表団の平壌行きを妨害し、大量の脱北者を「誘引、拉致」した事件などで北南関係はこう着状態に陥った。しかし、5月末に北側の提案で当局者実務会談が開城で実現して以来、北南関係は良好に発展している。

 仁川で行われた昨年の6.15統一行事では、2005年を祖国統一の元年として輝かせることを決めた。市民らは、新たな時代の到来を感じ取り、名実ともに今年が祖国統一の元年になるとの期待をふくらませている。その一方で、常に北南関係の発展を妨害してきた米国の動きを注視している。

[朝鮮新報 2005.6.25]