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13カ月ぶりに離散家族再会事業 「分断の悲劇終息を」

 【高城発=姜イルク記者】北と南の離散家族、親せきの再会事業が昨年7月以来、約1年1カ月ぶりに再開され、第11回目の再会が8月26〜31日、金剛山で行われた。今回はまず、南側の99家族、146人が北側の家族、親せき233人と28日まで再会した。一方、29〜31日には北側の100人が南側の家族、親せき430人と再会を果たした。

母そっくりの兄

 26日、金剛山ホテルが再会の場となった。

 咸鏡南道北青郡在住のハン・ホンフプさん(67)とハン・ジョンヒさん(60)は、釜山市に住む長兄、ハン・ホンヨンさん(74)と54年ぶりに再会した。朝鮮戦争の時に生き別れになって以来のことだ。

 「お兄さんにまちがいない。お兄さんがいらした」

 テーブルで待つ妹のハン・ジョンヒさんは、6歳の時に別れたきりの兄の顔をよく覚えていない。だが、母そっくりなのですぐに兄だとわかった。

 兄と妹は向かい合った瞬間、ひしと抱き合った。

 ハン・ホンフプさんは、「夢のような出逢いができたのは、6.15北南共同宣言のおかげ。一日も早く統一し永遠の出逢いとしたい」と話した。

 同日の集団での再会後、北側主催の歓迎宴と個別面会、家族単位での食事、三日浦共同登山、最終面会などがあった。

柿に故郷の思い出

 第2陣の集団での再会は29日、温井閣で行われた。

 黄海南道青丹郡に住むリ・ギチャンさん(73)は、南に住む3人の弟、ギチャン、ギヨン、ギソクさんらと55年ぶりに再会した。

 リ・ギチャンさんにとって8月29日のこの日は母親と離別した日。4人兄弟の長男だったギチャンさんは義勇軍に入隊する決心をし、1950年8月29日に母とだけ惜別のあいさつを交わした。弟たちとは会えずじまいだった。

 「オモニが兄さんの話をよくしていました」

 半世紀ぶりに会った弟たちの第一声だった。

 ギチャンさんは、別れたその日から柿を食べられなくなったという。当時、義勇軍に志願する長男に、母は柿を持っていかせようとしたが、ギチャンさんは断った。彼の故郷は柿がよくできる。その後は、柿の木を見るたび、母や弟のことが思い出されて仕方がなかったという。

同じ領土にいても

亡くなった次兄、リ・ウテさんの家族と再会したリ・ウリョンさん(中央)

 文学芸術出版社主筆のリ・ウリョンさん(70、平壌市在住)は、次兄のリ・ウテさんが南に住んでいることは知っていたが、とうとう会えずじまいだった。97年に死亡したからだ。だが今回、次兄の妻、子どもたちと再会を果たした。

 7人兄弟の末っ子。兄弟は朝鮮戦争の際に別れ別れとなった。姉4人はリさんと同様、北に渡った。そのことを確認した50年代から連絡をとり続けている。

 58年から64年まで平壌音楽大学で作曲を学んだリ・ウリョンさんは、78年から今まで文学芸術出版社で活動してきた。02年には8500余曲が収録された「朝鮮の歌大全集」を発行した。今や文学芸術部門での第1人者である。

 次兄が南に住んでいることが判明したのは89年。リ・ウリョンさんの活躍ぶりを聞いた米・ロサンゼルスに住む長兄、リ・ウイクさんと連絡をとるようになってからだ。

 91年に北を訪れたウイクさんから、次兄の詳しい話を聞き、家族の写真も見せてもらったという。

 「遠く米国に住む兄とは会えるのに、同じ領土に住むもう一人の兄とは会えないなんて、まさに民族の悲劇としか言えない。統一を早く実現し、分断民族の悲劇を終わらせなければ」。リ・ウリョンさんは切々と語った。

[朝鮮新報 2005.9.6]