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各地の発言から

協力の結果はすばらしい

 1995年の阪神・淡路大震災を機に県下19の外国人学校が震災からの復興とその維持、発展のために互いに協力し合うことを申し合わせ、兵庫県外国人学校協議会を設立した。当事者によるこのような協議会は日本では初めての試みで、その運営と効果について多くの注目を集めてきた。

 兵庫県をはじめ行政が国に働きかけた結果、外国人学校への国庫補助が初めて適用され、県下の学校が復興を遂げることができた。行政、市民たちの温かい心によるものと感謝している。またこの間、国籍、民族、宗教、文化の異なる児童が国際性豊かな心を培っていくため、学校間で文芸、スポーツ交流、日本学校との交流も進めてきた。創立の歩みの中でとくに感謝したいことは、震災時に比べ県の補助金が現在はその3倍になったことだ。これは全国でトップレベルだ。協力し合うことは難しいが、協力の結果はすばらしい。

 しかし、県の助成金は日本学校に対する私学補助金の金額にはほど遠い。

 外国人県民も平等に納税の義務を果たしていることを県当局は考慮すべきである。(兵庫県外国人学校協議会、林同春会長)

日本人の教育権も侵されている

 京都市上京区にある本校は1957年の創立。京都市より廃校になった校舎をレンタルしている。年間の授業料は小中学部が年額116万円だ。市民祭で本校の児童が英語の歌を披露するといったことから、地域で認知はされているが公的な認知は受けていない。

 外国籍の子どものみならず、日本人の家庭の子どもも増えている。日本人の場合、インターナショナルスクールに通わせると、日本人なのにどうしてそのような学校を選んだのかというプレッシャーをかけられる。私自身、日本人として通用しないという脅しのようなことも言われた。

 外国人学校の方々の話を聞いていると、やむにやまれぬ事情で学校を作らざるをえなかったというケースがほとんどだが、日本人の場合でも教育の自由が保障されていないこと、つまり自由な教育を受ける権利が脅かされている現状を認識しなければならない。(京都インターナショナルスクール、土肥俊子理事)

基調報告

 文部科学省は2003年3月6日、外国人学校のうち、欧米系の学校の一部のみに大学入学資格を求める案を発表した。外国人学校のうち高等学校相当レベルの約半数を占める朝鮮学校、それに次ぐ学校を有する中南米系学校をまったく無視したこの案は、外国人学校内に差別を持ち込むものであった。

 しかし、多くの市民が立ち上がり働きかけた結果、文科省は学校教育法施行規則の改定を行い、@国際的な評価団体の認定を受けた外国人学校A本国の高校と同等の課程と位置付けられた外国人学校B個別の大学が高校卒業と同等以上の学力があると認めた者に大学入学資格を認めることにした。@Aによって外国人学校が日本の高等学校に相当すると認められたのは一歩前進だろう。

 しかし、大学入学資格問題がもっとも切実な朝鮮学校に対しては、国交がなく公的確認がとれないという理由をつけてAの認定をしなかった。この問題への取り組みの中で明らかになったのは、外国人学校は、あらゆる面で日本の学校と差別されているということだ。

 他方、外国人学校間で処遇改善のための連携が生まれ、文科省への圧力にもなり、外国人学校が抱える共通の問題を解決していくには、互いが連携し、協力し合うことが必要不可欠であるという機運が生まれた。何が「共同課題」なのか、いかに解決すべきなのかをみなさんとともに考え、取り組んでいきたい。(外国人学校、民族学校の問題を考える弁護士有志の会、師岡康子弁護士)

すべての子どもに学ぶ権利

 1990年代以降、愛知県では外国人労働者が急増し、子どもたちの教育の課題が重要になった。日本政府が批准した「子どもの権利条約」では、すべての子どもたちに教育を受ける権利を認めており、日本に暮らす外国人の子どもたちにも、滞在資格に関わらず学校に行く権利が当然保障されるべきだ。

 しかし、多くの地域では外国人登録や在留資格がないことを理由に就学や教育の権利が否定されてきた。とりわけ名古屋のフィリピン人コミュニティには不就学の子どもたちが多く、その多くは昼間はテレビを見ながら家で過ごし、夜には繁華街の公園で遊ぶという状況で、彼らの基礎教育が可能な緊急避難的な施設が求められた。

 キリスト協会の支援と協力で発足した当校では、将来フィリピンに帰ることが予想される子どもたちが帰国後、母国の学校や生活に少しでも適用できるよう、フィリピンの言葉や歴史に重点を置いたカリキュラムを組んでいる。

 運動の結果、2年前に名古屋市教育委員会は、「外国人登録のない子どもの就学を認める」と方針を転換。今年4月6人が国際子ども学校を「卒業」し、市立中学校に入学することになった。(国際子ども学校、横尾明親さん)

行動しなければ差別は残り続ける

 朝鮮学校は1949年にその多くが日本政府によって閉鎖に追い込まれた。現存する朝鮮学校の多くは1950年代初期から再建、または新設された学校だ。以降、朝鮮学校関係者は無認可による学校閉鎖が再び繰り返されることがないことを願い、都道府県が認可権を持つ各種学校の認可を求めた。日本政府は都道府県知事に認可しないよう文部事務次官通達を発したが、同胞の闘いと広範な日本市民たちの支持により朝鮮学校は次々と認可されていった。

 現在も正規の学校としては認められていないため、国庫補助が一切なく、財政難から教育環境と条件が圧迫されている。体育館やプールのある学校はほとんどない。老朽化した校舎の修築、改築も望めない。教員の給与は低く、保護者の財政負担は重く、学校の運営は常に困難だ。2003年、日本政府は、外国人学校の中でもインターナショナルスクールのみに優遇税制を認め、朝鮮、中華学校などには認めなかったが、これはまったく合理性を欠いている。

 行動しなければ差別は残り続ける。同じ境遇にある外国人学校が団結し、地道な活動を繰り返していくことが大事だ。(大阪朝鮮学園、蔡成泰理事長)

[朝鮮新報 2005.10.5]