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在日朝鮮史100周年記念シンポジウム12日東京で、在日朝鮮人の歴史と法的地位など報告

 12日に東京都千代田区の中央大学駿河台記念館で行われる在日朝鮮人史100年記念シンポジウムでは、在日朝鮮人の歴史と法的地位、朝鮮学校と民族教育の歴史などについて報告される。

1910年以前に連行

 シンポジウムでは、1910年以前に、すでに日本各地で朝鮮人労働者が動員されていた事実について報告がなされる。

 以前は主に「朝鮮人の移住は1910年の韓国併合以降」とされていたが、1990年代以降の研究で「乙巳5条約」(1905年)に関する資料が次々と発見され、新たな事実が明らかになったことで、1910年以前の強制連行の事実も確認された。

 鉄道建設業協会の「日本鉄道請負業史 明治篇」(1967年11月復刻版)には「人夫不足を補充するため同組(鹿島組)の朝鮮支店を通じて初めて半島人夫150人許を使傭した」とある。1905年に着工した鹿児島線建設工事(1909年開通)に、150人の朝鮮人が動員されたとのことだ。

 また、兵庫県山陰鉄道建設工事には、1908年から200人以上の朝鮮人が働かされ、7人が犠牲となった。

 日本の勅令第352号(1899年)は、外国人の入国に関する取締りを行ったもの。だが、この勅令によって中国人労働者が帰国させられた替わりの労働力として、朝鮮人が連行された事実がある。当時の新聞は、統監府、内務省、日本の企業が巧妙に手を組んで日本国内の鉄道工事の労働力として朝鮮人を連れて行ったことを記している。

 これらの事実は、強制連行を「国家総動員法」(1938年)、「国民徴用令」(1939年)発令以降に限定する見解にあらためて疑問を投げかけるものとなる。

一貫した民族差別

 シンポジウムではまた、在日朝鮮人の法的地位の問題についての報告も行われる。なかでも8月に公開された「韓日会談」の会議録についての解説は注目される。

 会談において行われた在日朝鮮人の法的地位に関する委員会の会議録からは、当時の南朝鮮政府の反総聯、反朝鮮学校政策と日本政府の分断、同化政策が色濃く反映されていることがわかる。

 とくに、第7回会談(1964年12月から65年6月)の会議録には、総聯の民族教育を中傷し朝鮮学校を差別する発言が生々しく綴られている。これらは、日本政府の民族差別、抑圧政策の一連の流れから来ており、65年12月の「文部省事務次官通達」の内容をそのまま踏襲したものであることがわかる。

 シンポジウムでは、強制連行や関東大震災のときの朝鮮人虐殺などから一貫している、日本政府の差別政策に関する報告も行われる。

[朝鮮新報 2005.11.8]