〈本の紹介〉 東アジアの冷戦と国家テロリズム |
本書の編集に当たった徐勝氏の分析によれば、近来百十年間、東アジアの政治的地形は階級矛盾、身分矛盾、ジェンダー矛盾などを内包しながらも「帝国主義」対「民族解放闘争」の対抗を軸として形成されてきた。これは西欧帝国主義列強と、西欧に似せられて自ら帝国主義に変貌していった日本の東アジアへの侵略、植民地支配、戦争に起因するものであるが、なかでも日本軍国主義の侵略、破壊、殺戮は東アジア民衆にとって最も大きな災厄であった。だからこそ、日帝の敗亡は、東アジア民衆に大きな希望と喜びをもたらすはずのものであったが、東アジアに冷戦、分断のカーテンが下ろされ、アメリカの支配圏においては、解放された民族の主体となるべき反帝民族解放勢力は徹底して弾圧され、新しい社会建設の展望と努力は絞殺された。 それとは逆に、アメリカの戦略的意図によって、加害者である天皇をはじめとする日本の戦犯は免罪され、大日本帝国の諸犯罪は不問に付されるという歴史の逆転が演じられ、天皇制の存続によって日本の過去との断絶は霧散する一方、東アジアにおいては旧日本支配機構や親日派分子が「反共」の隠れ蓑を着て温存、あるいは再活用された。この最後の出発点における蹉跌が東アジア民衆の新たなる受難の始まりであった。 本書はこうした鋭い問題意識からスタートした国際シンポ「東アジアの冷戦と国家テロリズム」(以下、「国際シンポ」)の全軌跡を収録したもの。この大規模シンポは「米日中心の東アジア地域秩序」から「民衆中心の東アジア地域秩序」への転換を掲げて、1997年、台北での第1回大会以来、02年秋、南の麗水での第6回大会まで、日本、韓国、台湾、沖縄の活動家、研究者、受難者、芸術家を網羅して開催されてきた。本書はその7年間の活動の記録。 本書は3章28本の膨大な論文から構成されている。第1章は、東アジア冷戦と国家テロリズムの性格を論じた分析的な論文からなっている。第2章は、東アジアの国家テロリズムについて、台湾、韓国、沖縄、日本の各地域の具体的な現実に則した理論的分析と証言から構成されている。第3章は本シンポの大きな特色である女性部会の成果である意欲的な論文、証言が収録されている。 ここに具体的な論文を詳述する紙面のゆとりはないが、いくつか特徴を上げると、日本の軌跡を振り返った杉原達・大阪大学大学院教授は、台湾・韓国での恐怖政治が、日本の一貫した支持、援助によっており、日本は「第1に独裁政権を政治的、経済的に支持することによって、民衆への抑圧を認知し、第2に、それと引き換えに自らの植民地支配と戦争責任の追及を免れ、過去を隠蔽し、第3に独裁政権との癒着を通じて経済進出を果たすことによって、現地の民衆からの収奪、搾取の実をあげた」と指摘した。そして、日本人はその「冷戦体制と高度成長システム」のなかで、経済的に安定し、「国家と企業に自己を同化させ」て、その安定を保証され、「歴史への省察を風化解体し、また、同時代の近隣の民衆の現実へのまなざしを曇らせ」ていったと指摘する。つまり、日本は冷戦時代の東アジアでの国家テロリズムの共犯者として、他地域の民衆、他民族と対立してきたと強調する。 さらに第3章の国家権力と女性の諸論文は、男性の女性に対する抑圧という側面だけではなく、帝国主義、国家の抑圧の側面を同時に抉り出した力作が揃った。米軍の性暴力の残忍さを浮き彫りにしながら、「米軍撤収」と「米軍犯罪根絶」を掲げた女性たちの力強い歩みは感動的。 南の金貴玉論文は必見である。朝鮮戦争中に韓国軍が犯した野獣のような蛮行に言及している。韓国軍が朝鮮女性を性奴隷化していた事実を発掘して、「敵(北朝鮮)」の女性の略奪という形で、韓国軍が旧日本軍の戦場における性暴力と「慰安婦制度」を継承していることを暴露した。 米軍が圧倒的な軍事力によって支配する東アジアの現状を照らし出し、「平和で人間的な東アジアを作り出そう」とする本書の意欲的な試みに深い敬意を表したい。(徐勝編)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2005.2.2] |