〈本の紹介〉 「続・くず鉄一代記」 |
家族への想いから始まるこの本(姜福心著)を読んで、先ず感心したことは、叙述内容に虚飾がなく、一貫して真実を述べていることである。 学校の門をくぐったことがない方々に多いとは聞くが、姜さんは実に記憶力がよく、自分の過去を、隈なく覚えて叙述しているのには驚くのである。夫が、自分に物質的、精神的な多くの苦労をさせたが、それにめげず、むしろ夫を積極的に助け、愛したし、子どもたちを立派に育て上げたその情熱に頭が下がる。 波瀾万丈、苦労の多い過去であったが、それを苦労で終わるのではなく、どんな苦労も明日を、明後日を希望の目で眺めながら、強靱に情熱に燃えて生きてきた姜さんの力強い精神力と、盤石のごとき意志は他の鑑になると思った。 日帝植民地統治時代16歳の時、故郷、全羅道珍道で結婚し、夫(梁福周)と一緒に日本に来て、あらゆる民族的差別と、蔑みを受けながら生活したが、それに屈することのなかった姜さん。日本に来たら、夜間学校でも通うことが出来るのではと夢を描いたが、実現されなかった切ない思いが何時も胸にこびりついていたという。 だが姜さんは、自力で朝鮮の文字を読み書き出来るようになったというのである。しかも、常に民族性を忘れることなく、すべての苦労と辛苦を、良い方向へと解決した姜さんの並はずれた浪漫を、本の多くのページで感じられる。 姜さんは、「苦しみ尽きて幸福が来ること」を信じて、どんな仕事も嫌がらず悪戦苦闘して、あらゆる難関を克服して成功を収めた内容を吐露している。 人々の多くは、家庭の恥部、つまり恥ずべき部分は隠すか、語らないのが常であるのに、姜さんは、家庭のすべての事を率直に打ち明けて語り、それを教訓にして新しい火花を散らすことはあっても、決して挫けない内容を、本で見ることが出来る。 1980年、遊技業(パチンコ)を始めて、やっと人並みらしい暮らしが出来るようになった時に、この世に未練を残して、夫が他界するのである。 87年10月まで、約半世紀の間、人がご飯を食べる時、お粥をすすり、人が酒を飲むときは、水を飲み、走り続けた夫を、姜さんは気の毒に思っている。 39年から姜さんは、夫と共に浜子、石岩掘り、農業、飴作り、土木、飯場、自転車修理販売、くず鉄業等々、実に多くの重労働をしてきたと書いている。 そして本には、教訓的な内容も多く述べている。 例えば、祖国を愛する人は、誰もが幸福になれるとか、人は誰かに何かをしてあげられるのが、最も大きな幸せであり、それに健康、3度の食事、仕事をする喜び、祖国と社会のために役割をする喜び、これが実現されれば幸せであると−。 著者は、孫たちに言うのである。父母を乗り越えて社会のために、人のために、大きな役割をする人間になれと諭している。 それに、離散家族問題に触れながら、一日も早く祖国が統一して、父母、兄弟、夫婦、みなが一緒に住みながら祖国建設、幸福な生活創造が出来ることを、常に願うと書いている。 80歳の今でも姜さんは、遊技業会社の代表取締役を務めており、朝鮮大学校を卒業した長男(梁康成)は、鋼材会社の社長をしながら、遊技業店舗の経営に精を出しており、在日本朝鮮山口県商工会副会長として活躍している。このことを姜さんは、母として満足している様子が窺える。 本全体を通じて、私は、姜さんのあふれる人間味を感じた。(姜福心箸)(鄭求一、在日本朝鮮人中央教育会顧問) [朝鮮新報 2005.2.7] |