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くらしの周辺−博多の屋台で

 帰れる場所は多いほどよい。

 1月末に少し遅めの冬休みを取り、地元福岡に帰省する楽しみのひとつは屋台に行くことである。

 元々そこは父の行きつけで、大将とは30年近い付き合いがあるという。成人してほどなく、私も父を真似て通うようになった。親子2代にわたる付き合いである。

 父は日本の社会でも本名で通しているので、大将はもちろん、常連たちも私たち父子の「素性」は知っている。

 だが意外や意外(?)、彼らと話してみても、国籍や民族の違いなどまるでどこ吹く風、といった感じである。そのせいか、私のような若造が1人で飲んでいても違和感を覚えない。

 大将の奥さんが「在日の人は多く見たけれど、みな目上の人を大事にするし礼儀正しい」というあたり、決して私たちの「素性」がうやむやにされているわけではないようだ。

 彼らのように良き理解者たちの絶対数は多くないかも知れないが、その点むしろ、「在日に対する理解が少ない」と、嘆いている同胞の中には、逆に近隣の日本人への理解、またそのための努力が足りないのでは、と思うこともしばしばある。

 お互い良いところをもっと認めあうことができれば、友好親善という言葉をスローガンのように掲げなくても良いのではないだろうか…。

 大将も今では一線を退いた。今は、彼の心と味を受け継いだ若大将が、代わりに屋台を守っている。変わらぬ笑顔で迎えてくれる。

 私は今年の冬もあの暖簾をくぐる。(劉英治、会社員)

[朝鮮新報 2005.2.7]