日本の中のオンドル遺構〜(下) |
また、超国宝級のキトラ古墳は、観覚寺遺跡東700メートルに位置しています。キトラ古墳が渡来人との関わりが深い遺跡であることは、申すまでもありません。さらに、04年10月には、同じ高取町の森カシ谷遺跡でオンドル状の溝や、大壁建物が発見されたと報じられています。まさにこの付近一帯は、古代に渡来人の村や集落がたくさん点在していたところと言えそうです。 次に「L字型かまど」と呼ばれるオンドル状遺構について見ます。まず、この遺構がどのようなものかというと、堅穴住居の壁に、煮炊用のかまどを作り、その煙道を室内の壁にそってのばしコーナーで外に出すようになっています。なぜこのように作ったのかと言えば、壁に沿って室内にのばした煙道から暖をとるためと考えられており、オンドルに似たものとして、オンドル状遺構と言っています。形がL字型になっているので通称「L字型かまど」と呼んでいます。 このかまどは、朝鮮半島に類似遺構があり、朝鮮の考古学者は、暖炉型のものだと述べており、オンドルの原形遺構の一種と考えています。「L字型かまど」と呼ばれるオンドル状遺構は、北九州・近畿地方を中心に、全国で40余の遺跡で発掘されており、これからどんどん増えてくる可能性が大きい遺構として注目されています。最近の注目された発掘として、石川県小松市額見町遺跡があります。この遺跡は、95年から00年の間、6年間発掘調査が行われた7世紀から12世紀の間に営まれた集落遺跡で、建物の実数が600〜700棟ぐらいあったのではないかと言われるぐらい大規模なものです。 この遺跡から23軒の「L字型かまど」オンドル状遺構が見つかりました。ひとつの遺跡でこれだけ多数見つかるのは、全国的に非常にめずらしいものです。また、この遺跡からは手工業生産の関連遺跡が出ており、周辺からは製鉄遺跡群や製陶遺跡群などが見つかっていることなどから、額見町遺跡が渡来人の大規模集落であったことが明らかになりました。 日本で見つかっている二種類のオンドル遺構は、朝鮮半島で発掘されているオンドル遺構とつながっており、それは朝鮮の渡来人たちによってもたらされたものであります。 しかし、オンドルは朝鮮半島より温かい日本では定着せず、はじめて渡来した人たちが自分の故地にならって作ったが、短期間にすたれたと各地の発掘調査で指摘されています。 今後、朝鮮と日本のオンドル遺構の発掘がさらに進み、遺構の特徴などのつっこんだ分析によっては、渡来人のふるさと探しが可能になるのではないかという期待が研究者の間で広がっています。 日本のなかのオンドル遺構は、渡来人の居住をストレートに示す証拠であり、日頃日本の中の渡来人探しをやっている私にとっては、胸おどる、ロマンいっぱいの遺構であり、あそこにも出た、ここでも出たと確認する楽しさは、至福のものがあります。オンドル遺構は、今後もっと出る可能性が大であると、日本の考古学関係者は語っており、意外なところから出たり、みなさんの居住地域近くで出たりしたら、古代史ファンならずとも楽しくありませんか。最後に、オンドル遺構が出た地域を紹介しておきます。(李相才) 佐賀県−中原町 (中国地方)鳥取県−倉吉市 岡山県−山陽町 (近畿地方)京都府−園部町、綾部市、福知山市、宇治市 滋賀県−大津市、栗東市、日野町、能登川町、長浜市、高月町、余呉町、 安土町、秦荘野町 奈良県−高取町、御所市 兵庫県−神戸市 大阪府−堺市 和歌山県−和歌山市 (関東地方)東京都−府中市 (北陸地方)石川県−小松市 [朝鮮新報 2005.2.18] |