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東京で「高麗開城の文化遺産的価値と保存」ワークショップ 日本、南、在日の研究者ら1000人が出席

 「高麗開城の文化遺産的価値と保存」ワークショップが18、19の両日、ICOMOS韓国委員会、(財)文化財保護・芸術研究助成財団などの共催で東京・お茶の水にある明治大学駿河台キャンパス・アカデミーコモン会議室で開かれ、日本、南、在日の研究者ら約100人が出席した。このワークショップは、朝鮮史上初の統一国家を築いた高麗の首都開城のユネスコ世界遺産登録を支援するもの。開城には、高麗の都城・山城・寺院、王陵などの数多い遺跡群と朝鮮最古の文人画などの遺物、古都の面影を色濃く残す古い民家群が保存されている。

日朝共同学術調査が行われた開城市・霊通寺。同寺は今年6月に落慶式を予定

 初日の会議では納谷廣美・明治大学総長兼学長が祝辞を述べ、日朝の近代史には「悲しく、言い訳のできないできごとがあった」と指摘しながら、「昨年4月にオープンしたこの会議場アカデミーコモンというのは、人々が出会い、交流し、知恵を発信する場である。その場にふさわしいワークショップが開かれることは、このうえもない名誉である」と述べた。

 前野蕘・日本ICOMOS国内委委員長も、祝辞で、「古代の日本と朝鮮半島の交流は、太く長いきずなが幾重にも重なりあって続けられ、飛鳥・奈良文化は、そのうえで成立したものである」と指摘したうえで、関東一円にはとくに高句麗文化の足跡が色濃く、日本の建築用語の中にも高句麗の言葉がそのまま残されているなどと語った。

 つづいて、日本画家でユネスコ親善大使の平山郁夫・東京芸大学長(73)が 「北朝鮮の文化遺産と私」と題して基調講演を行った。

 平山氏が朝鮮から日本へ、という古代文化の流れを強く感じたのは、68年秋の院展に出展した「卑弥呼壙壁幻想」という作品を描いた時のこと。卑弥呼の服装を描くために、4世紀ごろに描かれたという高句麗壁画古墳の傑作の一つ、水山里壁画古墳の女性像を参考にした。「それから4年後の72年、奈良県の明日香村で高松塚壁画古墳が発見され、その壁画に描かれていた女性の服装が、水山里壁画古墳の女性とまったくといっていいほど酷似していたことにびっくりした」と平山さん。「朝鮮のチマ・チョゴリをほうふつさせる服装に、とても高貴な印象を受けた」と強調した。

「高麗開城の文化遺産的価値と保存」「ワークショップ」

 「それまで九州に古拙な壁画古墳があることは知られていたが、考古学者の間では、近畿圏に壁画古墳は存在しないというのが定説だった。しかし、朝鮮半島や中国との深い交流、法隆寺金堂壁画などの存在から、近畿圏にも壁画古墳が存在するのではないかと推察していた。高松塚で発見された美しい壁画は、私の推察が正しかったと証明してくれた」

 同氏は、仏教の日本伝来が高句麗についで百済、新羅の順に朝鮮三国から伝播したと指摘。とりわけ高句麗の清岩里廃寺跡や定陵寺などと共通の伽藍配置を持つ飛鳥寺の初代住職が聖徳太子の師であり、外交顧問であった高句麗僧・慧慈であったこと、さらに、高句麗の大興王が飛鳥大仏の仏像造立に黄金3百両を寄進したこと、その造仏は百済系の止利仏師の手によるもので、飛鳥時代の仏像彫刻に大きな影響を及ぼしたと語った。

基調講演をした平山郁夫氏

 平山氏はまさに、朝鮮三国の文化は日本文化の源流であり、高句麗壁画は日本古代史の貴重な証人であると指摘。そして、何とか高句麗壁画古墳を世界遺産に登録させたいとユネスコ親善大使として97年以来、9回にわたって朝鮮を訪れ、さまざまな支援を行った。その結果、昨年7月、中国・蘇州で開かれたユネスコ世界遺産委員会で、世界遺産登録が実現。同氏はその経験を踏まえて、開城が世界遺産に登録される可能性についても言及した。

 「朝鮮戦争の災難を免れた統一国家・高麗の古都開城は朝鮮半島のシンボルであり、東アジアの優れた史跡であると同時に人類の貴重な文化遺産であり、すでにイタリア文化省などが積極的な協力を申し出ている」と強調しながら、「日朝関係の厳しい状況の中でも、朝鮮側は文化分野において開放政策をとりつつあり、これは平和へのソフトランディングにつながると思う。これを踏まえてわれわれも『政文分離』をしながら、東アジア全体で開城の高麗史跡の世界遺産登録と保存に力を尽くそう」と力強く呼びかけた。

 18、19の両日にかけて西谷正・九州大学名誉教授が「開城の歴史遺跡群−スライド上映−」について、全浩天・在日本朝鮮歴史考古学協会会長が「開城付近の高麗期遺跡について−日朝共同調査の成果を中心に−」、任正爀朝鮮大学校教員が「高麗の科学技術遺産」、黄★源・ソウル大学教授が「歴史都市開城・世界文化遺産的考察」について研究発表した後、各専門家らによる総合討論が行われた。(朴日粉記者)

★王へんに基

[朝鮮新報 2005.2.24]