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絆−家族の姿[4] 筑豊の魅力−輝く30の瞳、手造り学校の原風景

 全校生徒15人−。

 「炭坑の町」として知られる福岡県飯塚市の筑豊朝鮮初級学校。田舎の小さな学校の教室には、子どもたちの元気な笑い声が響いている。

朝鮮の心を

口演大会に向けて練習の成果を発表する高学年(左が成美ちゃん)

 姜錫斗さん(43)、辛佳恵さん(39)夫婦には、善求(中3)、成美(初6)、涼美(初1)と3人の子どもがいる。筑豊初級が新設されたのは錫斗さんが6年生のとき。幼い頃から1クラス30人学級で学んできた、北九州出身の佳恵さんは、長男を入学させる際、筑豊初級の生徒数の少なさにためらいがあったと言う。

 子どもを朝鮮学校に通わせるのは、錫斗さんの強い意思によるものだった。「朝鮮人として生まれてきた以上、朝鮮学校に行った方が良いと思った。子どもたちには教えられる限りのことをしてあげたい。朝鮮語を教えるのも、歴史を教えるのも、民族的な文化を身につけるのも、親が子にしてあげられることには限界がある。親が教えきれんことを学校で先生や仲間から学ぶ。学費が高いとか、距離が遠いとか、人数が少ないとか、そんなこと関係ない。親として、子どもにできる限りのことをしてあげたい。ただそれだけや」(錫斗さん)。

生徒たちは全員スクールバスで元気に登校する

 錫斗さんが筑豊初級に通っていた頃は、東京や名古屋から朝鮮学校の生徒たちが修学旅行で訪ねてきた。「同級生の父親が強制連行の語り部の「来善さんだった」。「さん(84)はその体験を訪れる多くの学生たちに語り継ぎながら、奴隷労働を強いられて犠牲になった朝鮮人無縁仏を追悼するため「無窮花堂」の建立に尽力した人。戦時中、朝鮮半島から筑豊の炭坑に強制連行された朝鮮人は15万人にものぼる。「さんの思いは、錫斗さんにも重なる。

 在日3世の錫斗さんは、子どもたちに「朝鮮人の精神」を教えることを親としての最低限の責任と考えている。「子どもが自分の意思で目標を定め、それが日本の学校へ行かなければ果たせないというのなら、その時日本の学校へ行ったら良い。何も知らない子どもには、朝鮮の先生と、同年代の朝鮮の友達が必要というのが僕の考え」と強く語った。

1日も休まず

無窮花堂は同胞の血と涙の歴史を静かに語っている(飯塚霊園内)

 兄の善求くんが入学すると同時に、妹の成美ちゃんも幼稚班に入園。スクールバスに乗せ1人遠くに送るのはかわいそうと下の妹を同行させたのだった。

 成美ちゃんのクラスは他1人きりで、「友達が休んだら成美は1人ぼっちになってしまう。友達もおらず、先生と向き合ってご飯を食べるなんてかわいそうかなぁ…」と、佳恵さんは心配した。娘が「さびしいけぇもう行かん」と言ったら、近くの保育園へ戻そうと考えていた。でも、高学年のオンニたちが面倒をよく見てくれた。「保育園に戻る?」と聞いても首を横に振るばかり。その後下の涼美ちゃんと2人、1日も休まず皆勤賞をもらった。生徒数の多い学校で育った佳恵さんには理解できないことだった。

 昨年、北九州初級(九州中高)が新築されて、中級部に上がった兄とともに妹2人も北九州の学校に送ろうと佳恵さんは考えた。しかし、子どもたちは「筑豊が良い」と断った。「学校だって向こうはピカピカだし、友だちも大勢いるのに。子どもたちは幼いなりに筑豊の魅力を知っているのでしょうか」(佳恵さん)。

支え合い

 鄭露美校長は、「生徒や教員の数、一般的な教育環境から見ると、わが校は決して良い学校とは言えないでしょう。でもただひとつ、子どもたち1人1人に対する教員たちの情熱だけはどこの学校にも負けません」ときっぱり言った。

 同校生徒(3年生以上)は、昨年11月に行われたIML国際算数、数学能力検定試験に全員合格の快挙を果たした。検定試験には、海外を含めた約600人が参加したが、小学校で「全員合格」は同校だけ。学力をつけることに教員らは力を惜しまない。

 校舎の老朽化が深刻化するなか、体育館や付属幼稚班の天井の修理に励むアボジたちと、少しでも学校の運営資金の足しにしようと資金の捻出に励むオモニたち。佳恵さんはオモニ会会長を務めている。「子どもを朝鮮学校に通わせてる以上、お金はかかるし、何もしないと1円だって落ちてはいない。だから人が休んでるときにも動いて、お金を作って。昨年はオモニたちの努力で目標の10万円を達成した。努力の積み重ねで集めたお金を子どもたちのために有効に使いたい」。

 お金は現在、子どもたちの「給食」費などに当てられている。学期に1回はオモニ会、その他毎月2回は先生たちが交代で給食を作っている。鄭校長は、「教員たちが生徒の送り迎えと授業をこなし、なおかつ隔週ごとの給食の準備や調理をするのは大変なこと。でも、子どもたちのためにできる限りのことはしてあげたい」と話す。

 成美ちゃんに聞くと、「給食はおいしいしあったかいから好き」と言う。佳恵さんも「オモニ会のお金が、目に見える形で使われるのがうれしい」と話した。

 3人の子どもたちの夢は、善求くんはコンピューター会社で働くこと、成美ちゃんはスチュワーデスになって世界中を飛び回ること、涼美ちゃんはクッキー屋さんになることだそうだ。子どものため、学父母と学校、地域同胞が一体となった手造りの学校の原風景がここにあった。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2005.3.7]