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〈トーク朝・日のいま〉 横浜、パリ、そして世界へ 女優・岸惠子さん

朝鮮半島の人々との交流を強く願っていると語る岸さん

 2月末、チャリティーコンサート「世界平和を願う平和のシンフォニー」が横浜で開かれ、そこで長く国連人口基金親善大使を務めた岸惠子さんが講演した。岸さんはパリ、中東、アフリカ、ハリウッド、日本を舞台に、女優、作家、ジャーナリスト、そして母、娘、妻として真摯で、ひたむきな生を駆け抜けて来た。国家という枠に収まり切れない、その半世紀近くにわたる自由な生き方に共感する人たちは多い。

 新世紀に入り、米国は「正義」の旗を掲げ、アフガニスタンへの報復攻撃に続き、イラク戦争と2度目の大規模な戦争を繰り広げている。

 こうした慄然とした戦争の風景を、たおやかな口調で鮮やかに解像して見せる。

 「戦争の標的は、地下資源のない貧しい国ではなく、地下資源の豊かな国。本来なら、その国の人々が恩恵を受けなければならないのに、それを略奪し、劣化ウラン弾などの高度精密兵器などで攻撃して、地球に毒をばらまいているのは強大な国の人たちです」。

 約2000人の聴衆を前に、パリ滞在40年、パレスチナ始め世界各地の紛争地に飛び込み、書き続けてきた確かな目で、受難の人々への関わり方を説く。

 岸さんが例にあげたのは、「国境なき医師団」の創設者でもあるフランス人医師のベルナール・クシュネール氏。

 湾岸戦争に震撼し、ユーゴスラヴィアでまた動揺する世界の中を、医師として、人道問題担当大臣として、常に戦火のただ中に飛び、現場に駆けつけて被害者を助け、自ら提唱する「干渉の義務」を実践してきた。同氏は68年の「5月革命」を経て、国際赤十字の医師として、一日3000人の餓死者を出したこともある大産油国、ビアフラ内戦の現場に立った。

 「殺戮の惨劇を見て、クシュネール医師は、あえて赤十字の誓文を破り、加害者を糾弾し、数人の同志とともに『国境なき医師団』を創設した。後に国連まで動かし、世界中が一つになって弱小民族の大量虐殺に抗して介入するモラルを築いたのです」と岸さん。

 クシュネール氏の最も強力なパートナーが前ミッテラン仏大統領夫人のダニエルさん。反ナチスの女性闘士であり、仏国民の尊敬を一身に集めている。

 「彼女は困っている人、虐待されている人を目の当たりにすると危険を顧みず、窓を蹴破って救い出そうとする。バングラデシュの大洪水、クルド人大虐殺の現場…、地球上のあらゆる災難の現場に飛び込み、人間を救うために体を張ってきました」

 岸さんの口調は段々熱を帯びる。「世界の困難に対して沈黙してはならない。沈黙は加害の共犯。−人命を救うためなら石をとれ−石を投げずに薬を投げよ−(クシュネール医師の言葉)」を紹介すると満場からの割れるような拍手を浴びた。

 現在は居をパリから横浜に移し、講演や執筆活動に多忙な日々を過ごす。

 一昨年秋、長編小説「風が見ていた」(上下巻)を、今年1月、エッセー集「わたしの人生ア・ラ・カルト」を立て続けに出版。楽屋でも岸さんの話を聞いた。リラックスする中で、話題は自然に「冬ソナ」へ。朝鮮半島との文化交流や映画、ドラマのブームは人々を偏狭な価値観から解放し、互いを理解する上で大きな説得力を持つと微笑んだ。

 13年前に一度お会いした時、当時の首相が「パチンコ疑惑」と絡んだ朝鮮学校生徒への暴行事件について「僕がいじめた訳じゃない」という発言に「腰が抜けるほど驚いた」岸さん。「政治家が子どもっぽいですね。教育の中で日朝間の歴史をきちっと教えていくべきです」と。

 新著「私の人生ア・ラ・カルト」でも「歴史上類を見ない被害者であるユダヤ(イスラエル)が、今、加害者になってしまった。そのイスラエルにパレスチナをテロ呼ばわりする権利があるのか、人間の歴史はあまりにも酷く矛盾に充ちて複雑である」と指摘しながら「日本の若者がこれら複雑、過酷な偏見と差別による人間の歴史に心を傾けることを私は祈る」と強く訴えている。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.3.23]