〈本の紹介〉 教養の再生のために危機の時代の想像力 |
「現代は危機の時代である。イラク戦争をはじめとして、地球上から戦争が絶えず、私たちが平和構築への確たる展望を打ち立てずにいるという意味で、現代は危機の時代である」(徐京植・東京経済大学助教授)。この危機の時代が求めている教養とは何か、という鋭い問題意識が、本書を貫く。その論者が当代随一の知識人の一人である加藤周一氏、ノーマ・フィールド・シカゴ大学教授、徐京植氏である。 加藤氏さんはこう語る。 「教養の再生はなぜ必要なのか。それは社会にとっても、究極の目的は何か、が大事だからです。 どういう価値を優先するか、その根拠はなぜかということを教えるために必要なのが教養です」と。それがないと、目的のない、能率だけの社会になってしまうと指摘しながら、次のような例をあげる。 「1930年代に、日本は中国への侵略戦争を行いました。100万に近い軍隊を出して非常にたくさんの中国人を殺した。中国を支配するために30年間、日本は脅迫し、戦争し、殺戮し、占領しました。戦争は無能力な国にはできない。技術的にすぐれた兵器があり、組織的な軍隊があり、有能な指導者があって、はじめて戦争できるのです。軍事的には日本軍は圧倒的な力があったから、中国大陸で長い間戦争を続けることができたのです」 しかし、加藤さんは教養主義と絡めてこう指摘する。「ただし、目的を選択する能力については、優れているとはとてもいえない。少なくとも戦争を始める前、戦争をやめる機会は何回もあったのです。それが、あれだけの人が死に、原爆を含めて徹底的に破壊されるまで、いつまでも戦争を続けたというのは、実に目的の選択、方向の転換がまずかったということだと思います」と強調しながら、どうしたら、そういう目的の選択、方向の転換を適切に行う能力を養うことができるのかと問いながら、「それは、テクノロジーではなく、教養主義でしょう」と答えている。 さらに同氏は日本の明治以降に強くあった差別の一つは、朝鮮半島の人たちに対する民族差別であると指摘し、そういう差別と男女差別と、貧富の差による差別はみなつながっていると断じながら、「差別は一つであって、反対するか、支持するか、どちらかです」と強調する。差別を乗り越えるテコとして文学、芸術をあげる一方で、差別に反対することは教養主義から引き出せるとしている。 ノーマ・フィールド氏の教養の前提としてまずは戦争、それから貧困をなくすべきであるという主張、徐京植氏の絶えず他者をとおして振り返る、その反復の中で教養というものが鍛えられ、培われてゆく、という見解は胸にずっしりと響く。(影書房、加藤周一、ノーマ・フィールド、徐京植著)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2005.3.28] |