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笑顔の入所者 頬伝う涙

 岡山県岡山市の東南35キロの瀬戸内海に浮かぶ長島には、日本全国に13ある国立ハンセン病療養所のうちの1つ、邑久光明園がある。

 3月25日、大阪、兵庫、京都朝鮮歌舞団と京都コリアン・ユース・ネットワーク(CYN)が、京都を中心に音楽ボランティア活動を行っている「光の音符」とともに、「春、舞う心」と題したコンサートを開いた。

渡れない海

女性独唱「アリラン」

 園内を案内してくれた「光の音符」代表・西村ゆりさんは、海の方を眺めている筆者に向い、「きれいでしょ。でも、ここにいる入所者たちは、この海をきれいだと思ったことはないんですって。この海が、自分たちと家族を引き離し、世間から隔離したという思いが強いの。帰りたくても、海があるから帰れないとね…」と話した。

 幼少の頃、療養所に強制的に収容された人たちの中には、故郷に帰りたい一心でこの海を泳いで渡ろうとした者もおり、多くの子どもが命を落としたという。

 平屋建ての住居スペースの前には一軒ごとに区切られた小さな花壇があり、花や野菜などが丁寧に植えられていた。「みなさん、お年寄りだから、家の前で畑仕事をしたり、花を育てたりするのが楽しみみたい」と、西村さん。「光の音符」は12年前から光明園でコンサートを行ってきた。

 光明園には現在、約260人の入所者がいる。平均年齢は78歳。今は廃校となった校舎を西村さんと一緒に丘の上から眺めた。

 「赤ちゃんのときに発病した人は、ここで育ち、あの学校に通い、そして、ここで亡くなっていった。園内には納骨堂もあってね、各宗派ごとの葬式も挙げている。長年の社会的な偏見のため、今でも遺骨を引き取りに来る親族は少ないんですって」

 その言葉にやるせない気持ちがぐっと込み上げてくる。

コンサート

サムルノリ

 1907年から96年までの長い間、日本では「らい予防法」が存在し、この法律により、約90年間、ハンセン病元患者たちを療養所という名の強制収容所に隔離してきた。ハンセン病患者とその家族は日本政府の抑圧と取り締まり、非人間的な隔離政策により不当に社会から排除され、治療薬が開発され同法が撤廃された今も彼らへの偏見と差別が根強く残っている。

療養所内にある石碑。元患者たちは、約90年間ここに隔離された

 元・京都朝鮮歌舞団副団長の朴貞任さんは、西村さんらと共に3年前から同園でのコンサートに参加している。「京都・兵庫朝鮮歌舞団と関西地方の朝青、文芸同の有志ら15人で、朝鮮舞踊や歌、カヤグム、ピアノの演奏を披露した。公演を終えた私たちが、花道を作って観客たちを見送ると、ハラボジ、ハルモニたちは、ほとんど形を留めていない両手で私の手を握り返して、『ウリマルとウリノレを久しぶりに聞けて本当に嬉しい』と、震える声で応えてくれた」。

 今回のコンサートでは、朝鮮歌舞団による、舞踊「パラの舞」、女性独唱「アリラン」、女性重唱「見上げてごらん夜の星を」、混声合唱「海の歌」、舞踊「チャンゴの舞」ほか、「光の音符」の歌と、京都CYNの「サムルノリ」などが披露された。前日に雪が降り、この日はとても寒かったため、多くの観客は望めなかったものの、観客たちは童謡をくちずさみ、手拍子でリズムを取りながら、公演を楽しんでいる様子だった。

心を開いて

今は廃校となった療養所内の校舎

 入所者のうち約3割は同胞だという。「老人会館」と呼ばれる病棟には、20人近い入所者たちが車椅子やベットの上で、同胞の若者たちが来るのを待ちわびていた。

 「アリラン」、「故郷の春」などの朝鮮の歌に涙を流すハルモニ、ハラボジたち。頭を揺らし、リズムを取り、包帯を巻いたこぶしを目頭に押しあてる。中には「アリラン」を口ずさみ、「えーうたや!」と声援を送る人もいる。

 独唱をしていた康順愛さん(大阪歌舞団)は、観客一人1人に近寄って手を握り、観客たちはその手を力強く上下にふって喜びを伝えていた。笑みを浮かべた互いの顔には涙が伝う…。

 康さんは、「心が震えた。言葉は交わせなかったけど、心と心が触れ合った感じがした」と話した。

眼下にはきらきら光る瀬戸内海

 ここには翌日に97歳の誕生日を迎えるハルモニの姿もあった。「ハルモニー、故郷はどこですか?」と聞くと、「大邱や」と答える。「テグ、81ポンジ(番地)や」と。

 朴貞任さんは、「3年前に来た時、あのハルモニは60年ぶりにウリマルを聞いて、言葉を取り戻した。『アボジ、オモニに会いたいけど、もう帰れない』と語り、看護師さんが、『おばあちゃん、言葉が戻ったね』というのを聞いて皆泣いた」と話した。

 入所者たちの多くは、初対面の人に対して心を開くことはないという。しかし、この日の観客たちは、華やかなチマ・チョゴリに手を伸ばし、共に歌い、体を揺らし、笑顔を見せた。

 あるハルモニは、「のどがからからや。もう、歌えん」と言い、その隣の男性は、「わしはあの歌(『アリラン』)を小さいときに聞いた。だから知っとる。でも、歌詞がようわからん。意味もわからん。あの歌、知りたいなぁ…」と話した。目にはいっぱい涙をためて。

 朴さんは、「看護師さんの話によると、今までどんなに有名な歌手が来ても、顔も上げなかった人たちだとか。私たちの歌が、心を揺さぶったのですね」と言った。

 入所者たちは、病棟を去る若者たちに最後まで手を振って、「タシ オシオー!(また来なさい)」と見送っていた。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2005.3.31]