top_rogo.gif (16396 bytes)

〈トーク朝・日のいま〉 狂乱的な朝鮮報道に抗う テレビ愛媛報道部デスク・村口敏也さん

TV番組に続き、昨年末著書「ウリハッキョ」も出版した村口さん

 愛媛県松山市にある小さな朝鮮学校を舞台に取材を始めたのが、あの「02年9月17日」。その日を境に在日同胞を取り巻く空気は凍りついた。日本のメディアから洪水のごとく吐き出される批難の声。朝鮮は「絶対悪」の化身のように扱われるようになった。そうした中で朝鮮学校に通う子どもたちまでが暴力の標的にさらされて…。

 村口さんはこのような「異様な空気」に苦々しさや静かな怒りさえ感じずにはいられなかった。「テレビ愛媛は長年にわたり朝鮮学校の取材を続けてきており、同胞の方たちの日朝首脳会談への大きな期待を知っていただけに、その辛さが身に染みた」。

 そんな風潮にたとえ一局でもいいから風穴を開けたい、一石を投じたいという思いから始まった約1年の歳月をかけたドキュメンタリーの制作。穏やかで誠実な口調だが、あの狂乱的な朝鮮報道の中、在日と真正面から向き合ったその精神力、行動力は並大抵ではない。

 舞台はわずか生徒24人と校長以下11人の先生がいる小さな学校。来る日も来る日も、取材者と子どもたち、そして先生たちは語り合い、疑問をぶつけながらも、心を通わせていく。在日1世たち、父母への取材、さらに生徒たちの進学先の広島朝高にも足を向けた。

 「先生と生徒の関係が半端じゃない。授業中は毅然とした先生だが、普段は友達や親のように優しいから、子どもが心底信頼を寄せる。ある日の午後、廊下の隅で先生が生徒を説教していた。生徒も真剣な眼差しで先生を見つめている。それから何時間も経って、外が薄暗くなっても2人は同じ場所で延々と…。自分の全ての時間とエネルギーを一人の子どもにぶつける教師がここにはいる」

 村口さんは心を揺さぶられた。「日本の学校が忘れ去ろうとしている真の学び舎の姿がある。教師と生徒が真摯に向き合い心を通わせる場が、民族学校には残っているのだと思った」。

 当然、負の部分もカメラは映し出す。教師の給料が滞るほど、学校運営が困難なこと…。

 「施設もはっきり言ってボロボロ。でも子どもたちの目はキラキラ輝き、素直。民族学校の持つ魔力≠フとりこになった。学級崩壊が社会問題になっているこの国で、親以上に熱く子どもと向き合う学校。こんな学校をなくしてはならない」。村口さんの口調は熱を帯びる。

 いつしか季節は移ろい、撮影したVTRは260本、90時間という膨大なものになった。しかし、放送時間は正味47分。貴重なテープを切って切って完成した番組の大詰めに入れたのは、子どもたちの魂の叫びである。

 中級部3年の崔慶華さんはこう話した。「日本は北朝鮮のことを悪く言って、向こうも日本のことを悪く言って、このままじゃ、仲良くしようと言っても口先だけで、いつまでたってもできないと思います。日本のことも共和国のことも、両方わかってるのは私たちだけなので、日本の人たちにも向こうの人たちにも、本当のことを話していきたいです」。

 北バッシングが吹き荒れる中で誕生したメッセージ性の強い番組。局内ではそんな最中の放映を危ぶむ声もあった。「国内の状況は相変わらずだった。しかし、そういう情勢だからこそ、責められる側≠フ視点を描く報道もするべきではないかというのが、一貫した私の信念だった」。

 局のトップの「これは北朝鮮問題を扱ったものではなく、在日のありのままの姿と民族への思いを描く作品だ」という後押しを受けて、番組は地元愛媛では03年7月28日午後7時というゴールデンタイムに放映された。心配された批難はなく、同胞からは「泣きながら見た」「この難しい時期に、よくぞ放送してくれた」という声が相次いで寄せられた。優秀賞に輝いた「地方の時代映像祭」で、審査委員長は「こうした時期にこのような番組を放送した、局の勇気と見識に敬意を表する」と評した。

 偏見や無関心のもとで、ともすれば見過ごされがちな問題を見つめていきたいという
村口さん。すでに新たなテーマの長期取材に取り組んでいる。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.4.6]