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〈本の紹介〉 「美のうらみ」

 美しく造本された本が届いた。尊敬する随筆家・岡部伊都子さんの、志ある著書「美のうらみ」の末尾に解説(「その手によって」)という形で、拙文が共にある光栄は、私一人の名で、著書が上梓される以上の深い悦びとして、胸に沁みた。電話口の向こうで「おおきに、おおきに…」。こちらが涙声になるより先に、岡部さんが泣いてくださった。

 岡部伊都子という人に、人生の中で出会えた僥倖をしみじみ思う。岡部さんご自身が、さまざまな人との「出会い」に育てられたと書いていらっしゃるが、私が岡部さんと出会えたのは、きっと、美を求めてやまない強い意志だったのだと思う。美しい自然、美しい人のありよう、美しい品々。本来ならば、みなそれらに囲まれて生きたいのに、そうはならず、美しくない言葉、美しくない環境、美しくない諸々に晒されて生きてゆかねばならない、多くの人々の暮らしがある。

 「何故? それはおかしい」と、理不尽な不公平への怒りが湧く。怒りを口にすることは、本来大切なことなのに、私たちは、子どもの頃から黙って我慢し、従うことがよいことと思わされてきた。心の美しくない「美」を独占したいと強欲を張る、狡い人たちに洗脳されて。怒って、口角泡を飛ばし抗議するのは醜いこと、人間的な未熟の証拠と思い込んできた私は、「怒っているうちはまだ私も人間なのだ」と、怒ることを当然として貴び、むしろ、怒りを感じなくなる恐ろしさに警鐘を鳴らす岡部さんの言葉に驚き、その後、多くを教えられた。

 私たち朝鮮人は、いつも日本国にひどい目にあわされ、憤ってきた。怒る朝鮮人に、日本人は怯え嫌ってきたが、岡部伊都子という人は、その怒りこそ、人間としてまっとうなことと認め、怒る朝鮮人を丸ごと抱きしめた、最初の日本人だと思う。

 本当に好きな人に出会うと、人は民族も国境も越える。しかし「越える」とは、民族も国境もどうでもよいこと≠ニして、「消去」することとは、まったくの対極にあることである。その人の拠って立つ根、歴史や文化が醸すものを尊び、怒りや哀しみの本質を理解し、共有したいと、熱く願う心の働きである。

 藤原書店という、これも志のある出版社によって、一月から発刊が始まっている岡部伊都子作品選は、これまで徹頭徹尾、偏見のない目で、朝鮮民族を尊び、愛してきた岡部伊都子という、一人の日本人の熱さ、優しさの本質は、どのようにして成ってきたかを知る手立てになろう。ぜひ、手にとって、じっくりと味わい読んでほしい。(藤原書店、岡部伊都子著)(朴才暎、女性問題心理カウンセラー)

[朝鮮新報 2005.4.18]