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〈朝鮮史を駆け抜けた女性たちJ〉 梁夫人

 金千鎰(1537〜1593)は壬辰の乱の時、義勇兵を率いて日本軍と勇敢に戦った義勇軍の指揮官として、「李朝実録」や「燃藜室記述」、「海東名臣録」などにその名を留めている。金千鎰の活躍の裏には、聡明で大胆な妻、梁氏の存在があった。

 金千鎰に嫁いだ若き梁夫人は、いつも昼寝をすること以外これといった仕事をせず、見かねた舅が注意するとこう言ったという。

 「治産をしっかりやれとおっしゃいますが、元手になるものが何もないのに、どうやって生活の手段を築けとおっしゃるのですか?」

 しっかりした女性である。

 夫人のこの言葉に驚いた舅は、稲を30石と、奴婢を4、5人、牛を数頭分け与えた。ところが夫人はこれを自分で管理するのではなく、奴婢に次のように命じた。

 「お前たちは牛に稲を積み、茂州の田舎に行きなさい。そこに家を建て、この稲を育て、火田も作り、秋には収穫量を報告し、お前達が食べる分以外は毎年貯蔵しておきなさい」

 聡明な女性である。

 それだけではなく、ある日、夫に耳打ちした。

 「手中に田畑がないということは、あらゆることを成すのに困難だということです。この村にはたいそうな財産を持つ金持ちがいます。でも、大変な賭博好きだといいます。あなた、一世一代の賭けに出ようとは思いません?」

 大胆な女性である。碁の名人といわれるその金持ちに、どうやって勝つのだと金千鎰が言うと、夫人は自分が碁の教授をするという。李馝、金鍾貴など棋客として名を残した人は多いが、女性はあまり聞いたことがない。だが夫人は、天才的な腕前を披露し、夫に碁の妙技を授けた。そればかりか、賭博好きな者の心理を見抜き、3回勝負することを勧め、一局目は簡単に負けてやり、二局、三局目はやっと勝ったふりをするように言う。すると、必ず全ての穀物を賭けてでもまた勝負を挑むはずだから、と。機知に富んだ女性である。

 欲のない金千鎰は、山のような穀物を前にして、こんなにどうするのだと聞くと、夫人は「君子として、貧しい人々に分け与え、困っている人々に分け与え、また能力や才能がありながら埋もれている人がいれば行って深く交際し、その人々が我家を訪ねたなら、もてなすのです。ええ、私がすべて取り仕切りますから、あなたは心配なさらないで」と答えた。徳のある女性である。

 また夫人は、家の前の休田に、かぼちゃを植えてせっせと育てた。大きいものだけを収穫し、中をくりぬき、乾かした後で黒い漆を塗り、倉庫に山と積み上げた。別に、鋳物で同じ形のかぼちゃを作り、それも積み上げておいた。壬辰の乱が起こると、「あなた、こういうときのために、穀物を人々に分け与えたのです。お父様、お母様の避難場所は私が用意します。家の事は心配なさらずに、挙兵してください。兵士の軍服と糧食は、私がここに残り全てまかないます。どうぞ、侵略者を打ち負かし、この国をお守りください」と言い、金千鎰を戦場に送り出した。

 人望の篤かった彼の元には、五千を越える人々が集ったという。義勇軍の兵士達は、夫人の指示通り、軽い乾かした黒いかぼちゃを腰に下げ戦場に赴き、退却するときには鉄製のかぼちゃをそこここに打ち捨てた。その重さに敵は驚き、「それ」を軽々と腰にぶら下げている義勇兵に、恐れおののいたという。まったくたいした女性である。大胆で不敵、先見の明があり、聡明。梁夫人の生の痕跡は、多くの伝説や説話を生む。また、張志淵(1864〜1921)の「逸士遺事」(イルサユサ)に記録されている。(趙允、朝鮮古典文学研究者)

[朝鮮新報 2005.5.9]