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〈本の紹介〉 「戦後」とは何だったのか

 「反戦、反差別」、「反植民地主義」を掲げて昨年末創刊された季刊雑誌「前夜」の第3号がこのほど刊行された。今回の特集は徹底討論「『戦後』とは何だったのか」である。高橋哲哉・東大教授、作家の徐京植さんらが巻頭で白熱した議論を展開している。

 この中で、高橋さんが「戦後」を再考する意味を次のように指摘している。「『戦後』という言葉や概念を見えなくしてしまう歴史があったことは、否定できません。植民地への侵略、帝国の形成という近代日本の植民地主義全体を、一九四五年の敗戦と共に考え、問い直すべきだったのですが、それをずっとできなかった。『戦争は終わった』という発想が、『満州事変』以前に成立していた植民地帝国の問題を隠蔽してしまった面があります。…そういう意味でも植民地主義という問題設定をあらためて立てる必要があって、『戦後』という概念をそういう方向に乗り越えていく必要があるでしょうね」

 こうした新たな視座にもとづいて4月29日、東京・表参道にある東京ウィメンズプラザで対話集会「『戦後』とは何だったのか」が開かれ、約200人の聴衆らが熱い議論に聞き入った。

 集いでは作家の高史明氏がゲストとして招かれ、日本の戦後を自らの歩みとともに振り返った。同氏は日本の戦後史をめぐって、「明治はよかった、悪いのは昭和の無謀な戦争を強いた軍国主義者」だという司馬遼太郎氏に代表される歴史観を批判しながら、「日本の場合、いつもヨーロッパ近代からの視野に限定されているわけでしょう。冷戦状況も、もっぱらヨーロッパからの射程で見ている」と述べ、19世紀末から20世紀初頭において日本が武力によって朝鮮を侵略、それに抗う朝鮮の民族運動を徹底的に抑圧、圧殺してきた歴史に触れた。そして、日本は朝鮮やアジアで行ったこうした蛮行を直視し、その歪んだ歴史観を自らの手で正すべきだと強調した。

 また、高橋さんも、いま、「戦後」60年続いてきた憲法九条の非戦条項が廃棄されるかどうかという山場を迎えようとしている、この事態に対抗するために、民主主義や平和思想など「戦後民主主義」に含まれていたはずの普遍的価値を救い出す必要があるとのべた。(影書房)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.5.9]