〈トーク朝・日のいま〉 「パッチギ!」で「在日」描いた井筒和幸さん(映画監督) |
井筒監督が30年前、奈良の高校を卒業した頃のエピソードをある講演会で語ったことがある。 71年高校を卒業して、迷っていた頃、大阪・道頓堀で出会ったのが、大手広告代理店関連のCM会社制作室の人だった。目の二つの穴しか開いてない汗臭い縫いぐるみを着せられて、50回以上もやり直しを命じられ、ようやくOKが出た時に彼がこう言った。
「CMづくりをやる気があるのなら、朝7時に来い。人間というのは朝7時から活動するものだ。夕方にはうまい酒が飲める。できあがったCMは全国のお茶の間を飾る。人生とはそういうものだ。お母さんに言いなさい。僕はあの中(縫いぐるみ)に入っていると」 その究極の息苦しさの中から見つめたもの−。その後の井筒監督の作品に通底する「偽善」とか「スマートさ」とは無縁の自分をさらし尽くして生きる人間の姿だった。義理人情に厚く、裏表がなく自分らしく生きようと必死に生きる人々のたくましさ。観客らはそこに惹きつけられ、自らを投影していくのだ。 各地で満員の観客を動員した最新作「パッチギ!」もそんな映画である。最高傑作との呼び声も高い。 68年の京都を舞台に、在日同胞と日本人の高校生がケンカと恋に情熱をぶつける。ほぼ同年代の青春群像への監督の愛情と共感がスクリーンからほとばしる。「原作は松山猛の自伝的小説。朝鮮半島分断を嘆く『イムジン河』との出会いをつづったヒューマニティーあふれた話。そこに僕自身が聞いたり、見たりしたケンカや恋の話を入れた」
「冒頭の朝高生たちがバスをひっくり返す話、ラストの夜の鴨川での大決戦の場面。差別からくるケンカがあの時代は絶えなかった。差別や貧しさに負けない強さが朝高生たちにはあった。その煮えたぎる怒りと悲しみを日本人はわかろうとしない。そこをきっちりと描きたかった」 井筒監督は日本社会が常に少数者を無視し、排除し、関わろうとしないことに怒りをあらわにする。 「英国人はアイルランド問題について関心が高く、いつも熱く語り合っている。ところが、日本人は政府も含めて、朝鮮問題について長い間全然意識もせずにいた。当然、朝鮮を植民地にして、分断の根本原因を作ったことにも目を背けてきた。なのに拉致問題をきっかけに『ある日、平和な日本から人が北に連れ去られた』という物語を作り上げ、日々それを塗り替え、あげくに国交交渉どころか、経済制裁論にまでエスカレートさせてしまった」 「パッチギ!」の中で在日の老人が強制連行や植民地支配の悲惨な体験を強く訴えるシーンがある。監督の意図は明白だ。「みんな分かっていない。日本の文学も映画もメデイアも全くインパクトがない。かつての歴史を直視せず、ゆがんだ歴史認識のままこれまできた。こんなのが、アジアで受け入れられるはずもない。妙な韓流ブームやデートのお供としか思えないような映画が幅をきかせている。僕は時流に乗らない映画を作りたかったし、若者たちが、知らなかったことに泣いて笑ってショックを受ける映画を作りたかった。心にさざ波が立たないものは本物ではない」 地方の上映会に出席した井筒監督の下へある若い女性が泣きながら駆け寄ってきたと言う。「その女性は被差別部落出身のある男性との結婚に周囲から猛反対されて、ついに乗り越えらず、恋が覚めてしまった。なぜ、あの時彼の胸に飛び込む勇気がなかったのかと映画を観て号泣してしまったと」 また、子息の不祥事で苦悩し、外出時には帽子を深くかぶるようになっていた役者の中村勘三郎さんは「パッチギ!」から「逃げない覚悟」を貰ったと感想を語っている。 「もう、揺さぶられるんですよ、心が。負けない、逃げない。きれいな情熱が溢れてて、私は自分の帽子姿が嫌になってしまった(笑)。帰りには脱ぎすてていました」(朝日新聞4月24日付) 人の苦しみに寄り添う芸術とは? 教条主義やウソではない、ピカソのゲルニカのように厳しい現実の中から生まれるものでなくてはならないと井筒監督は考えている。 「反日、反日と日本のメディアは洪水のように伝えているが、中国にも朝鮮半島にも過去の歴史のカタを金でつけてきただけ。北とは何もやっていない。首相が何度も平壌に行ってから話し合えばいい。いまこそ平和のための焼き肉外交をしてほしい」と。(朴日粉記者) ※渋谷アミューズほか全国順次公開中。お問い合わせ=(株)アジア映像センター TEL 03・5804・3456 (DVDの発売は7月29日より) [朝鮮新報 2005.5.18] |