〈本の紹介〉 永遠の不服従のために |
戦争、テロ、強者への服従―世界中で荒れ狂う米国のとてつもない強大な暴力。その強大な力に対して作家・辺見庸氏の腹の底から噴き上げてくる激しい憤りをぶつけたのが「抵抗3部作」と呼ばれる「永遠の不服従のために」「いま、抗暴のときに」、そして「抵抗論―国家からの自由へ」である。 本書は3年前に毎日新聞社から刊行された「永遠の不服従のために」の講談社文庫版である。しかし、今新たに読んでも現下の世界の景色を、根源的な言葉でとらえる全くタイムリーな闘争の書であろう。 9.11テロ、アフガン報復爆撃、侵攻、イラクへの侵略戦争、そして、自衛隊派兵、朝鮮半島をめぐる危機…。この壮大な反動と非道。その暗い闇に辺見氏は「単独者」として、身体と精神を丸ごと投げ打って闘いを挑み、そして病に倒れた。本書にはその闘いを支える激しい抵抗の精神が満ち溢れている。 本書の巻末には、「私はブッシュの敵である」と力強く宣言する辺見庸さんを、おそらく今の世界で最も深く理解し、共感を示す作家・金石範さんのすばらしい解説が付されている。金さんはいうまでもなく、48年、米軍政とそのかいらいあによって引き起こされた4.3済州島民大虐殺事件の真相を追及する小説「火山島」を約30年に渡って書き続け、ついに03年、その国家犯罪に対する盧武鉉大統領の公式謝罪を勝ち取る契機を開いた不屈の作家である。その金さんによる解説だから、これ以上の説得力を持つ文は他にはありえない。 「エモーショナルなものが論理を排して、辺見庸のいうゆるやかな、そしてファジーなファッシズムの母胎となる。それがナショナリズムの滋養分となり、拉致問題を奇貨としての北朝鮮バッシングとタブー化、メディアによる戦前さながらの『国民感情』の総動員がなされ、そのあいだに有事法制など軍事国家への法的布石が着々と進められる」と金石範さんの情勢認識と怒りは辺見さんと完全に一致する。そして金さんは、「日本の言論界、とくに文学界は政治的で過激な言説とは縁遠いところであり、それをまず非文学的とする習性がある」と指摘したうえで、「政治的発言の非文学性論は、時代がアメリカ覇権のもと究極的な暴力性をおび政治的になればなるほど、その時代の虚構性から眼をそらす隠れミノになる」と喝破する。 日本中にあふれる「中立」を標榜しての戦争加担の言説、ジャーナリズムの目を覆うばかりの堕落。それを抉り出し、白日の下にさらす辺見さんの文体について金さんはこう書く。「それはアメリカの一極支配下、一方の極限に達した政治的、軍事的現実に、等身大で抗し得るもう一方の人間の精神の極限の力を示す身悶えの表象だろう」と。そして、「現実と想像力の限界に至る拮抗の産物が本書である」として、「政治がもたらす極限の暴力、人間の破壊は文学が極限の力で受けとめ、人間に対する破壊を破壊するところで、文学と政治はクロスする」と論ずる。その意味でこの解説は、それ自体が、稀有な辺見庸文学論となっていて、読み応えがある。 不条理に根源的な「NO!」を突き付ける怒りとその表現がいまこそ、求められている。表層風景にのみこまれて、ジャーナリズムとしての平和的論理性を欠落させ、歴史的視点を失っている日本のメディアの狂気を徹底的に炙り出しながら、本書は究極の問いを私たちに発する。「愚者として従うか、賢者として逆らうか」と。(辺見庸著、金石範解説)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2005.5.30] |