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〈朝鮮史を駆け抜けた女性たちK〉 憑虚閣李氏

 「閨閤叢書」(1809)。現存する最古の料理書として、2年前に138枚の写真とともに現代語訳された。朝鮮王朝時代の料理を網羅、伝統的な食文化を研究する者にとっては、なくてはならない教材である。朝鮮王朝時代の女官を主人公にしたドラマとあいまって、近年その注目度は高い。だが、「閨閤叢書」は料理書としての側面だけではなく、朝鮮王朝時代の生活百科事典という顔を持つ。「閨閤叢書」は単純な料理書ではなく、ぼう大な資料と経験に基づいた、衣食住を科学的にとらえた画期的なものだった。

 衣食住を始めとする200年前の生活規模と水準および多様性など、日常的な生活を垣間見ることができることから、後期朝鮮王朝の生活文化を研究できる格好の資料にもなっている。

 それだけではなく、ハングル古語体で書かれていることから、第一級の言語学資料としての価値も持つ。その内容は、「酒食議」「縫姙測」「山家楽」「青嚢訣」「術數略」など5冊からなる。すなわち、酒の醸し方、酢や醤の作り方、粥やおかず、お菓子や餅の作り方、裁縫、自然染色法、機織り、蚕の育て方、田畑の耕し方、果樹の育て方、花や茶の栽培、家畜の育て方、天気の見方、胎教、子育て、ケガの応急処置方、防虫、風水の見方、防疫、まじないや占いなど多岐にわたる。

 実用書としての完成度の高さだけではなく、当時としては画期的な女性像を、肯定的にとらえた部分がある。「閨閤叢書」の「烈女録」には男性中心主義的な「烈女」だけではなく、忠義、知識、芸才を備えた女性や、経済的な意味で「男性の役割」を果たした女性、女将軍や書画に抜きん出た学問や才能に恵まれた女性を積極的に紹介している。それは、この「閨閤叢書」の著者である憑虚閣李氏(1759〜1824)自身の学問に対する姿勢の投影でもあろう。

 性理学の規範を乗り越え、多様な女性像を肯定的に認めた点において、「閨閤叢書」は新しい女性観を示したといえる。

 憑虚閣李氏は当時の高官を数多く輩出した名門の生まれであり、幼い頃から聡明で15歳のときに「女士」という称号を与えられる。負けん気も強く、近所の子供が乳歯が抜けたと自慢すると、自らかなづちで乳歯を打ちすえ抜いてしまったというエピソードが伝わる。15歳のときに、実学者の家柄である三歳年下の徐有本と婚姻、夫の出世は果たせなかったが、学問的な知己関係を持続し、貧しいながら詩をしたため生涯を仲むつまじく暮らしたという。「閨閤叢書」には、夫人憑虚閣李氏のためにしたためた、夫徐有本の詩が伝わる。

 麹の酒は春の花の香り 貧しい暮らしを嘆くことはない
 毎年妻は絹を織り 
 ありったけの花で酒を醸してくれる
 これこそが天上の暮らし
 貧しい暮らしを機織りで支え
 毎年妻は白花酒を醸し
 僕は妻の酒で迷いも苦しみもなく
 清清しい心持ちだ
 山にひっそりと暮らす
 僕らのこの喜び

 詩を語りあい、学問の討論を妻とするような夫を得ることで、憑虚閣李氏は多様な女性像を肯定的にとらえるようになったのではなかろうか。「閨閤叢書」の執筆にあたり、「東医寶鑑」や「山林経済」「芝峰集」「海東農書」「博物誌」「山海経」「本草綱目」など朝鮮や中国の名著約75種を引用するような博識な女性であった憑虚閣李氏は、その聡明さゆえに時代に押しつぶされた女性が多いなか、良き理解者に恵まれ、彼女自身が時代を超える「多様な女性」のなかのひとりになりえたのではないだろうか。=完(趙允、朝鮮古典文学研究者)

[朝鮮新報 2005.6.13]