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「日朝友好展」−アジアの平和を詠む 「被害者の声に耳を澄ませて」

3.1運動のレリーフの前に立つ梅田悦子さん(97年8月)

 6月1日から6日まで、横浜で開かれていた日朝友好展では横須賀に住む元小学校教師・梅田悦子さん(61)の日本軍性奴隷被害女性たちをテーマにした「被害の痛み」と題する短歌10首が披露され、会場の注目を集めていた。

 梅田さんは1944年、横須賀生まれで、ずっと横須賀に暮らす。99年に30年ほど勤めた横須賀市の小学校教員を、定年まで数年間残して退職した。基地の町、横須賀から世界を見据えるその鋭い感性と研ぎ澄まされた感覚から生まれる歌。昨年は第1歌集「ヨコスカ−戦争が見える」を出版したばかり。

 その巻頭の一連「空母ミニッツ」のなかには次のような歌が詠まれている。

 「軍艦も潜水艦も並びおり憲法9条かすみゆく町」 「渋滞の日々続きつつ我が町は要に基地を抱えて生きる」

 梅田さんが当時勤務していた公立小学校では日の丸や君が代の強制がひどくなり、現場は重い空気に沈んでいた。その苦しみを背負い、朝日歌壇に投稿した歌が初入選した。

 「日の丸がマリアの踏み絵のごとせまりくる卒業の時期まためぐりくる」

 また、「短歌研究」に投稿した中国の平頂山惨案遺蹟記念館見学の五首一連の歌は特選にも選ばれた。歌人の近藤芳美さんから「凄惨な事実であるが、作品はその衝撃に耐え、冷静な把握として歌われている。その事実は、私たちがなお過去に負っている歴史を、正視し続けなければならないということをあらためて知らせてくれるもの」と高い評価を受けた。

日朝友好展の会場で(6月5日、横浜市民ギャラリー)

 日朝友好展で披露された元「慰安婦」のハルモニたちの歌は、横須賀から見える戦争を考えていくなかで、かつての日本の戦争責任と向き合い、アジアの被害者の方々と交流している市民たちと出会い、アジアの戦争被害者たちを訪ねる旅に行くようになってから生まれた作品だ。南の「ナヌムの家」のハルモニたち、中国の平頂山で話をしてくれた被害者の人たち、法廷に立ち、自分の言葉で話し始めた中国人元「慰安婦」の人々、日本軍の虐殺からたった一人生き残ったフィリピンの被害者…。アジア各国の被害女性たちとの出会いを重ね、その人たちから学び、考え、苦労のすえに生まれた歌の数々である。

 このほど、中山文科相の 「従軍慰安婦」を否定する発言がまた、出た。すでに何度も同じような妄言を繰り返しており、確信犯的な言動といわざるをえない。この妄言の残酷さは、身体と心に深い傷を受けた被害女性たちを再び侮辱するもので、とうてい許しがたい。

 梅田さんは、「過去の戦争の責任を何も取ろうとしないままに、正義の仮面をかぶった戦争という暴力に、世界が、この日本が飲み込まれそうだ。苦しみ、悲しむ人たちの声はよく聞こえない。だから、いつも、耳を澄ませていようと思う」と静かに語る。

 また、同じ会場には歌人の朴貞花さんと歌人であり元横浜市議会議員で、I女性会議中央共同代表広瀬禮子さんの歌が「相聞歌」のように並べられた。

 「抱かれし記憶なき父の戦死せる君も好きという君が代・日の丸」(朴)

 「六十年余歴史顧みぬ民とても九条・共生築かなむいざ」(広瀬)

 この歌は会場で詠まれた「即興詩」である。日本敗戦から60年経ち、戦争の記憶が風化し、他民族を蹂躙した過去を隠ぺいする動きが強まっていく日本。朴さんの歌には悪意はないが、足を踏まれた人々の痛みも歴史も知らない無神経な言葉に傷つく在日同胞の心情が込められている。

 広瀬さんは、「こうした風潮に歯止めをかけるためにも、改憲を許さず、日本と朝鮮、アジアの人々が共に平和に生きていこうとする切実な思いを歌に込めた」と語った。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.6.20]