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「在日コリアン詩選集一九一六年〜二〇〇四年」を読む 森田進・佐川亜紀編

 文化とは、ある集団の共通の価値観、立場などを反映した精神的な活動、とくに創造性に関わる総体を意味する。具体的には学問や芸術、教育や出版などの精神文化を指すと言ってよいだろう。文化の形成には創造だけではなく、不断の蓄積と自然的な拡大、拡散、そして何よりも継承発展が求められるため、ある程度の時間の経過が必要となる。

 在日朝鮮人には文化がない、独自の文化を創出してこなかったという言説を聞くことがよくある。果たしてそうだろうか。在日朝鮮人が生じて、すでに一世紀以上の年月が経過したので、固有の文化を形成する時間的経過はある程度満たしていると言えよう。同時に、本国の文化を伝承したり、普及する活動を含め、新たな独自の文化も創造してきたと言えるのではないか。先のような言説がまかりとおっているのは、主に在日がさまざまな分野で継承、創出してきた精神文化の活動が、個々別々に行なわれ、それらが絶え間なく蓄積されず、とくに通史的な位置付けと整理がなされないまま正当な評価を受けてこなかったことに起因しているのではないだろうか。今回、刊行された『在日コリアン詩選集』を通読するとき、その思いをあらためて強くする。

 詩の創作とはきわめて鋭利な芸術活動の一種であることに異論はあるまい。詩作はある固有の文化を先端的に引導する、先駆者としての優れた文学活動である。現在、詩はその魅力の輝きを失い、衰退している現状は否めないが、それがこれまで創作され、発表され、在日や日本人に読まれて、刺激や感動を与えた在日詩人たちの詩の功労を認め、評価することをいささかも殺ぐことにはならない。むしろ、解放前の植民地時代から、解放後の差別と抑圧の時代や現在にいたる、つねに困難と混沌のなかで創作された詩篇を読みかえす時、またさまざまな立場の詩人を通史的に位置付けられた労作を読むとき、いかなる苛酷な状況のなかでも精神文化の創造を中断することのなかった在日の詩人たちの偉大さやすばらしさを思い知るのである。これを優れた文化と言わずして何と言えばよいのだろうか。問題は私たちが自分たちの文化を通暁し、評価していなかっただけなのだ。

 もちろん、解放前のときには皇国思想や侵略戦争賛美の、いわゆる親日文学に属するものも少なくなかった。解放後の詩でも祖国分断という冷酷で複雑な政治状況のなかで、所属組織の違いによる軋轢、対立、憎悪などもあった。「国籍」の違い。混血としての苦悩。日本語で書くことへの迷いや開きなおり、または積極的な取り組み。このようなさまざまな立場の違い、思想の違いが在日の詩を一つの枠のなかで論じることを困難にさせてきた。しかし、在日という共通項で見れば、大きな枠のなかで一つの共通する文化的営為としてみなすことは可能であることを、本書はあらためて再認識させてくれたのではなかろうか。いや、むしろ多様であるがゆえに、在日の詩は小宇宙のように、清濁あわせた無限の可能性を提示しているのではないか。

 大事なことは政治的な可否ではなく、芸術として、文化として、それに貢献したのかどうか、在日の生き方を豊かな多様性のなかで示したかどうか、民族性をいかに在日の社会のなかで個性的に発展させてきたかどうか、ということだと思える。その点から見るならば、編者の一人である佐川亜紀が本書の巻末に書いた小論文「詩史解説」は在日の詩人を通史的に位置付けるほとんど初めての試みとして貴重なものである。

 解放前の詩人たちがいかに日本詩壇に関わり、影響を受け、影響を与えたかの資料は、現在、ほとんど直接目にすることが難しいという意味でも、これまで評価作業がなおざりにされてきたという意味でも、その意義は大きい。また、解放後から現在にいたる詩人を種別して論じているのも、大いに参考になる。もちろんこれに異論を唱える向きもあろうが、その叩き台になりうる論文として、今後、さまざまな場所で引用されることになるだろう。佐川はその論文の最後に「在日コリアンの詩の特色」を整理しているが、「日本語の異化」「日本現代詩が見なかった社会・感じなかった感覚・辿り着けなかった思想の表出」「日本社会・歴史・文化への根本的批判性」「日本近・現代詩、韓国・朝鮮近・現代詩と相関関係を持ちながら、異なる独自の存在」などの指摘は、今後の在日詩を論じるうえで一つの座標を示したと言える。このような大部の詩選集を編んで刊行したこと自体に敬意を覚えるが、佐川の論文はまさに在日の詩を位置付け、正当に評価する指針を示した労作である。

 ただ、「あとがき」でも断っているとおり、本書は在日詩人の日本語による作品、詩集を編者が知りえた範囲内で収録、論じたものであり、当然、朝鮮語による詩作品、詩集は対象にされていない。朝鮮語による詩作は、祖国志向、祖国の文化の継承発展、在日朝鮮人の生活と心情の一側面を描く創作営為として、決して無視できない、いや非常に貴重な文学行為である。他国に住みながらも、母国語による創作を試みることは世界的に見ても稀で、正当な評価が待たれるものである。創作は数多行なわれたが、評論はほとんど試みられなかったのは残念なことだが、今後、その作業が行なわれることを期待してやまない。

 今、「韓国」の大学研究機関でも在日文学に対する研究が始まっている。在日作家、詩人への関心は内外で高まっている。そのような時期に刊行された本書は、それらの研究と理解に不可欠の貴重な資料となることであろう。(チョ・ナムチョル、詩人)

[朝鮮新報 2005.6.29]