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朝鮮解放60年−日朝つなぐ人々−A ユネスコ親善大使、東京芸大学長 平山郁夫さん

高句麗古墳群は人類の宝

 朝鮮民主主義人民共和国の高句麗古墳群が世界文化遺産登録に登録されて満1年が経った。その陰には97年以来今年の4月まで、10回も訪朝し、平壌とその周辺の古墳を訪れたユネスコ親善大使の平山郁夫・東京芸大学長(74)の尽力があった。

 平山さんとユネスコの篤い支援を受けて、現在平壌市内楽浪地区の大同江沿いに5000m2の敷地面積を持つ5階建てビル(地下1階)の「高句麗壁画文化センター」建設が進められている。

 同センターは高句麗壁画保存研究活動、国際学術シンポと出版宣伝、専門家の養成のための教育などを担うことになる。

 平山さんはこれまで美知子夫人と共に高句麗古墳群の世界遺産登録に協力するために、温室測定器、ビデオカメラ、パソコン、車両などを提供したほか、今年4月には15万ドル、あわせて25万ドルを寄贈。

「卑弥呼擴壁幻想」のモデルに対面(水山里古墳、99年1月)

 さらに4年前には世界遺産登録支援と銘打って「高句麗今昔を描く平山郁夫展」(朝日新聞社、NHK共催)を日本各地で開催し、収益金を壁画の保存修復基金に充てるなど献身的に取り組んできた。

 その平山さんの尽力に対して、昨年7月1日、中国・蘇州で開かれたユネスコ世界遺産委員会に参加していた朝鮮政府代表団の李義夏団長(63)は、高句麗古墳群の世界遺産登録決定の直後、鎌倉の自宅で吉報を待っていた平山さんに深い感謝の意を伝えた。

 日朝関係の厳しい状況の中でも、朝鮮側は文化分野において開放政策をとりつつあり、これは平和へのソフトランディングにつながると平山さん。「これを踏まえて私たちも『政文分離』をしながら、東アジア全体で高句麗古墳群を人類の宝として守って行かなければ」と指摘する。

 平山さんが朝鮮から日本へ、という古代文化の流れを強く感じたのは、68年秋の院展に出展した「卑弥呼擴壁幻想」という作品を描いた時のこと。卑弥呼の服装を描くために、4世紀ごろに描かれたという高句麗壁画古墳の傑作の一つ、水山里壁画古墳の女性像を参考にした。「それから4年後の72年、奈良県の明日香村で高松塚壁画古墳が発見され、その壁画に描かれていた女性の服装が、水山里壁画古墳の女性とまったくといっていいほど酷似していたことにびっくりした」と印象を語りながら、まるで古代の人が発掘してほしいと呼びかけているような感動を味わったという。

 拉致問題以降の厳しい状況下にあっても変わることなく訪朝を重ね、交流を続けるひたむきな姿。「(訪朝は)危ない、止めた方がいい」と忠告されもした。

 「私は広島で旧制中学3年の時、被爆した。爆心地から3キロ。私の中学校では201人が即死した。原爆の後遺症にも長い間悩まされた。だから、平和の尊さが誰よりもよくわかる」

 朝鮮を植民地支配した過ちを日本が正しく認識し、日朝正常化の道に踏み出すべきだと心から願っている。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.7.5]