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〈朝鮮歴史の断片D〉 固定資産税と戦争資金

日本と米英が取引、アジアを分割

 日本に事務所を構えた外国人たちは、固定資産税にとまどう。払わないと差し押さえられ、払ってもどこかが壊れたときに修理してくれないので家賃よりたちが悪いと考えるらしい。

 日本政府は対ロ戦争の資金を調達するために、固定資産税と専売法を実施し、献金と公債などを国民に強要した。固定資産税が戦争資金として導入されたことはさほど知られていない。薬の「正露丸」も、ロシアに派兵される兵士常備薬の「征露丸」として開発された。(進軍を意味する)ラッパのマークはここに由来する。

 当時の超大国、英国は、広大なインドとロシアの領土を狙い、米国はフィリピン方面を狙っていた。

 今から100年前になるが、露日戦争が始まっていた1905年7月29日に東京で、「桂・タフト会談」が開催された。桂太郎は当時の首相、タフトは後に米大統領になる陸軍長官だ。この会談で次のような覚書が交換された。

 @日本は米国のフィリピン統治を認めるA米国は日本の朝鮮支配を認めるB極東の平和は日米と英国の理解によってのみ達成される。

 05年8月12日に第2次日英同盟が結ばれた。同盟協約は、英国のインド支配、日本の朝鮮支配を認めた。

 露日戦争で日本が使った軍事費は19億8000万円だった。このうちの8億円を借款として米英が提供している。先にも指摘したが、日本の年間国家歳入が1億円ほどだったときのことだから、莫大な金額だ。

賠償金拒否するなど高姿勢

 日本軍は05年5月に、朝鮮南海で無敵を誇っていたロシアのバルチック艦隊を壊滅させたが、軍事費が足りなくなり兵力が消耗するなど、戦争を続けられない状態にあった。ロシアも、国内の革命運動の高揚などで戦争を続ける力を失っていた。

 ロシアが朝鮮支配をもくろんだのは、覇権主義もあったが、朝鮮が英国の支配下に置かれると、ヨーロッパとアジアから挟み撃ちにされる心配の方が大きかったからだ。日本の朝鮮支配なら許せるという考え方で、ロシア側が和議を申し入れた。

 事実上の敗北だが、交渉のテーブルでロシア側が出した条件は朝鮮に対する支配権放棄だけで、賠償金などを日本が要求すれば戦争を続けるという高姿勢をとった。日本側はこれを受け入れ、05年9月5日に露日戦争が終結した。

 清日戦争で日本が獲得したのは、賠償金として(戦争費用に使った)2億円+台湾・澎湖諸島だったが、露日戦争では賠償金を獲得できなかった。当時の日本国民は、「戦勝国なのにどうして賠償金を要求しないのか?」と暴動を起こした。

 日本が露日戦争で勝てたのは、米英の後押しと、革命運動の高揚など、ロシア側の内部事情によるものだった。(鄭誠哲、朝鮮問題研究者)

[朝鮮新報 2005.7.11]