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朝鮮7大名山を踏破 妙香山・毘盧峰登攀記 外勢に抵抗した闘い刻む山河

 朝鮮の8大名山をご存知だろうか。白頭山、金剛山、妙香山、七宝山、九月山、漢拏山、智異山、雪岳山をいう。在日本朝鮮人登山協会の金載英副会長(54)が、先月、妙香山と九月山の登攀を終え、南の雪岳山を残して7大名山を踏破する快挙をなしとげた。

朝鮮の8大名山

 金さんは同胞商工人として多忙な毎日を送る。その一方では、人権協会や体育協会などの役員も務めている。また、朝鮮籍では初めて地元、群馬県大泉町商工会理事、大泉町商店会会長として活動するなど地域での信望もあつい。

 そんな金さんにとって山の魅力とは何だろうか。

 「94年、家族5人で初めて金剛山に登ったことがある。そのとき、その麗しさに感激して、近い将来、地続きの北と南の山々を踏破すると心に誓った。それは私が在日であることと深い因縁がある」。在日の歴史は、36年にわたる植民地時代とそのあとの分断の悲劇を抜きにしては語れない。金さんには、人為的に引き裂かれた祖国が統一されてこそ、在日の根本問題が解決するという信念がある。

 「白頭山に始まり金剛、雪岳、太白の山々を経て智異山に至る白頭大幹が、なぜ、二つに分かれていなければならないのか。白頭山の地響きが智異山までとどろき、金剛山の山彦が雪岳山に響くのに、なぜ、南北の山々を登攀できないのか」

 民族の霊峰を必ずや踏破して「心の中の統一を成し遂げなければ」というその誓いが現実のものになったのが、歴史的な00年6.15北南共同宣言であった。

妙香山の最高峰・毘盧峰から3メートルのところで記念写真をとる金載英さん

 金さんはいよいよ、夢を叶えるために仲間たちと行動を起こした。02年の漢拏、智異山、03年の白頭、七宝山、そして今回の妙香山、九月山登攀だ。

 金さんが今回の祖国訪問のハイライト、妙香山登山の途についたのは、6月2日からだ。

 「前夜は興奮して眠れず、宿所の香山ホテル前の駐車場に出て、北斗七星を中心に満点の星が広がる夜空を見上げた。山のもう一つの魅力は夜のしじまと、まるで宝石の海のような美しい天空であろう」

 朝5時起床。まだ周辺は霧が深い。5時30分にホテルを離れ、登山口に到着。同伴者は在日本朝鮮人体育連合会の鄭智海副会長(63)と祖国の案内員3人。最高峰毘盧峰(1909メートル)まで20.8キロメートルという道標を前に身が引き締まる思いがした。

 何とも言えない山の香りが漂う比較的平坦な登山道を歩くと、川幅が10メートルにも満たない香山川のせせらぎの音が聞こえてくる。思わず鼻歌が出てくるような爽快な気分。

妙香山一の美しい景観で名高い白雲台からの眺望はすばらしかった

 途中、豊臣侵略軍を撃退するために全国の寺院に祖国防衛の檄文を送り、義勇軍を編成した西山大師が入山していた「金剛窟」が左に見える。祖国防衛戦を偉大な勝利に導き、李舜臣将軍と共に朝鮮史に民族の英雄として記憶されている西山大師。厳粛な気持ちで頭を垂れた。  

 まもなく下毘盧峰近くの少年キャンプ場で休憩。全身から汗が吹き出て、息もせわしくなった。「いよいよ、本格的な登山が始まるぞ」と自らに鞭を打った。

 登山道も一挙に難コースとなり、ただ黙ってひたすら山道を進むだけとなった。

 本格登山にいまだ馴れていない金さんを気遣って祖国の案内人が、45分歩いて15分休むという方法を取ってくれたという。それでも息は絶え絶え、意識ももうろうとしてくる。膝を曲げるのもやっとの金さんを見て、案内人がリュックも背負ってくれた。彼がいなかったらとてもこの登山は難しかったと金さん。

愛らしい「なぎウサギ」の姿が一瞬見えた

 「難コースを歩いてそろそろ5時間。もう引き返そうか、苦しい、いや、ここまで来たのだから最後まで登ろう。自分の中にまるで2人がいるように自問自答し、せめぎあっている。こんな軟弱な気持ちで祖国の山を登る資格があるかと、自分を叱った」

 6.15共同宣言から5周年。北南関係は地殻変動のような根本的な変化を起こし、民衆の間の心の統一がなされつつある。そんなときに妙香山の最高峰・毘盧峰をめざすのにこんな弱音を吐いてどうするんだという天のいや、山の神の声が聞こえてきた。「ハナ、トゥル、−」。一歩ずつ進むたびに自らを励まし、大地を踏みしめていった金さん。いつの間にか呼吸も安定し、苦痛も次第になくなっていった。山の景色も変わっていた。黄色の花の高山植物が咲き乱れ、一匹の「なきウサギ」が足元をすばやく走りさった。ガイドの話では数年前に妙香山に生息することがわかったと言う。妙香山は国立公園として環境がそのまま保たれていて、動植物の宝庫といわれている。およそ660種の植物と200種の鳥類、33種の獣類などが生息、保護されている。

 途中、昔から「妙香山の美しさを語るなら白雲台から眺めよ」と言い伝えられてきた白雲台から妙香山の連峰を眺めた。山登りの苦しさもすべてを消しさるようなまさに一幅の絵のような眺望だった。金さんはここでギブアップした鄭副会長に別れを告げ、一挙に毘盧峰の単独登攀へと向かった。約7時間後に、夢にまで思い描いた憧れの頂上に立った。まさに登山口から12時間という長い道のりであった。

 金さんは深い感激を口にした。幼い頃、兵庫県西脇の朝鮮人部落で生まれ育った金さんにとって、祖国は常に身近な存在だった。帰国船が始まった頃は、部落中、ドラが鳴り響き、同胞たちの歓喜の踊りの輪がいつまでも続いた。そんな環境のもと、朝鮮学校での夏休みの一昼夜山歩き体験などを通して山に馴れ親しんだ。結婚後も、子供たちを尾瀬や谷川岳などの山歩きに連れ出して、自然に親しんできた。そして、人生の半ばを過ぎてからの8大名山への挑戦。

 「朝鮮のすべての山河には、外勢に抵抗した民衆の血が染みている。だからこそ、互いが力を合わせて一つの祖国をめざして闘わねば、ということを登山は教えてくれた」と金さんは力強く語った。(在日本朝鮮人登山協会、金載英副会長)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.7.15]