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朝鮮解放60年−日朝つなぐ人々−G 報道カメラマン 石川文洋さん

 石川文洋さんは一昨年、65歳で北海道・宗谷岬を出発し、150日をかけて沖縄・那覇までの3300キロの徒歩の旅を敢行した。

 昨秋、東京・銀座のデパーで開かれた日本縦断の旅の写真展とトークショーには、同世代の人たちはもとより大勢の若者たちが詰めかけ、石川さんの話に耳を傾けていた。

 戦場カメラマンとして何度も死線をくぐりぬけた石川さんのこと、ただ歩くだけではなかった。人々とふれあい、多くの人情にふれ、それをレンズで追い、ペンで記録した。使用したフィルムは333本。旅の途中で見た各地の風景や人々の様子は12000枚のカメラ紀行として、岩波新書「日本縦断 徒歩の旅−65歳の挑戦」や笊カ庫「てくてくカメラ紀行」に収められた。

 この旅の途中でも、平和な日本のたたずまいを見ながら、石川さんが思い起こしていたのがベトナム戦争のことだったという。

 石川さんがベトナム戦争を取材したのは26歳。以来報道カメラマンとしての人生を歩むことになるが、常にベトナムの体験が支えとなった。

「日本縦断 徒歩の旅−65歳の挑戦」のトークショーで語る石川さん(04年10月、東京・銀座のデパートで)

 1965年8月のトンキン湾事件以降、サイゴン陥落、戦争終結まで、ずっとベトナム戦争を現場で取材。その後も今年4月の戦争終結30周年記念式典まで何度となくベトナムに通い、枯葉剤、不発弾などによる戦争の後遺症の取材を続けてきた。それをまとめたものが、20日、刊行されたばかりの岩波新書・カラー版 「ベトナム 戦争と平和」だ。

 「ベトナム人も含めると記者、カメラマンの犠牲者は150人以上に上る。米軍は50万人以上もの大軍をベトナムに送りこみ、その結果多数の民衆が犠牲になった。ベトナム戦争はアメリカの侵略戦争だと思っています」

 石川さんは本書の中で元北ベトナム軍兵士パオ・ニンさんの小説を紹介しながら、次のような一文を引用する。

 「正義が勝った。しかし、勝利のためにもっとも心優しく勇敢で、品性にすぐれた価値のある人々が、拷問され、殺害され、精神が破壊された。戦争が人々の心に刻んだ傷跡はいつまでも残るだろう」

 戦争の悲惨さを語り継ぐとき、パオさんの思いと石川さんの思いとは重なる。それは、第2次世界大戦末期の沖縄戦で犠牲となった人々の悲しみやベトナム戦争の後方基地としてフル回転した沖縄の米軍基地、そこで暮らす人々の「消えることのない悲しみ」と向き合ってきたからだ。

 「日本軍の悪夢は今も沖縄の人々の脳裏から消えない。軍隊は平和をもたらさない。今の北朝鮮情勢にしても米軍の力を借りて、北を軍事力で封じ込めようとしている。こんなことでは東アジアに平和はもたらされないし、私たちは米軍の侵攻、爆撃による悲惨な結末をイラクでもアフガンでも見たではないか。朝鮮半島の人々が同じ悲劇を体験することに、私たちは耐えられるだろうか」

 力ではない、人間同士の信頼関係によって平和を築く時だ、と訴える。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.7.26]