朝鮮解放60年−日朝つなぐ人々−H 詩人 石川逸子さん |
ドイツはナチスの戦争犯罪に時効なしと、加害の追及と、「被害」の「救済」を続けている。日本では、戦争犯罪人に対する追及がなされず、彼らは、戦後も大きな顔をして政治の表舞台に立ってきた。 「従軍慰安婦にされた少女たち」(岩波ジュニア新書)「千鳥ヶ淵へ行きましたか」(花神社)などの著者で日本軍性奴隷制の被害女性たちの想像を絶する苦難の数々を描いてきた詩人の石川さん。 とりわけ、劇団民藝が04年まで10年の歳月をかけて日本各地42カ所で上演してきたドラマティック・リーディングうぃずケーナ「千鳥ヶ淵へ行きましたか」は、大きな反響を呼び、作家にとっても喜びとなった。 「この作品を書き上げたのは、21年前の暑い夏でした。千鳥ヶ淵で、ふつふつと聞こえてきた死者たちの声を、ほんの少しでもすくいあげたくて」 そして、彼らに重なり、彼らを圧するかのようなアジア、太平洋地域の死者たちの怨嗟と慟哭の声。 「数々の資料や被害者たちの証言によって『慰安婦』という性奴隷にされた女性たちの大半は、日本の植民地、占領地の十代の少女たちであり、その企画、立案、管理などを大日本帝国が行っていたことが明らかになっている。被害者たちは殺されたり、病によって無念の死を遂げた人も多い。それは無類の戦争犯罪、性犯罪であり、国際法にも違反している」
しかし、日本では、ますます被害者と加害者の関係を倒錯させる状況が深刻化しつつある。 昨年7月の自民党安部幹事長(当時)による「従軍慰安婦は歴史的事実ではない」という妄言、中山文科相が就任以来いい続ける「慰安婦や強制連行という言葉が減ってよかった」という妄言。 「加害者は処罰も指弾もされないのに、被害者は差別され、自らを貶め、惨苦の60年を過ごしてきた。彼女たちの人権は奪われたままなのだ。それなのに政治家によるこのとんでもない暴言である。被害者たちの心を再び残酷に切り刻むもので、絶対に許せない」 21世紀に入って、戦争の時代は終わるどころか、ますます牙をむきだしにしている。石川さんは「かつての戦争で失われたおびただしい命たち、非業の死者たちの無言の叫びに耳を傾けて、一人ひとりが自分のスタイルを持って『これではいけない』という思いを広げていかなければ」と力を込めて語った。 石川さんはお茶の水女子大史学科を卒業後、公立中学校の社会科教師の傍ら、詩作を続け、83年に退職。ミニ通信「ヒロシマ・ナガサキを考える」を発行する中で、日本軍によって殺されたアジア・太平洋地域のぼう大な死者に気づき「ゆれる木槿」(花神社)、「砕かれた花たちへのレクイエム」(同)などの詩集や著書を次々に発表してきた。 平和を求める各国女性たちとのネットワークも広がっており、若い人たちから寄せられるたくさんの手紙が石川さんの背を押し続けている。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2005.7.28] |