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〈生涯現役〉 「赤い鳥文学賞」を受賞した詩人、児童文学者−李錦玉さん

 日本の児童文学の最高峰第35回「赤い鳥文学賞」贈呈式が7月1日、東京都内のホテルで開かれ、在日同胞詩人の李錦玉さん(76)の詩集「いちど消えたものは」に贈られた。 

 贈呈式では、「赤い鳥」を1918年に創刊した鈴木三重吉の長女・すずさんから賞状とレリーフ、賞金が贈られた。

 李さんの受賞について選考委員の児童文学者・松谷みよ子さんは「選考委員6氏全員による満票で選ばれた、すばらしい作品でした」と賞賛を惜しまなかった。

小学校教科書にも

受賞の喜びを語る李錦玉さん

 李さんは1929年、三重に生まれた2世。解放後の49年、金城女専(現=金城学院大学)国文科を卒業した。朝鮮画報社などを経て、作家活動に専念してきた。とくに「さんねん峠」「へらない稲たば」(岩崎書店)は、NHKの教育テレビでも紹介されたり、日本の小学校の国語教科書に掲載されている息の長いベストセラー作品である。人気の秘訣を作者はこう分析する。

 「朝鮮の昔話は、現代を生きる私たちに豊かな知恵をもたらす泉のようなもの。機知に富んだ民族のおおらかな楽天的な姿が息づいている。『さんねん峠』は老人を敬い、喜びも悲しみもわかち合い助け合う底抜けに明るい話なので、国境を超えて、子どもたちのハートを捉えたのだと思う」

 この話には夢があふれる。「一度転ぶと3年生きるんだろう。2度転ぶと6年、3度転ぶと9年−」というように。少年の機知に富む一言、発想のユニークさが固定観念にとらわれた老人に生きる力と勇気を与えるのだ。

 この作品が日本の教科書に載ってからたくさんの子どもたちから手紙が届くようになった。「さんねん峠にぜひ行ってみたい」と子どもらしい願い事を記す子もいたりして、手紙を読むたびに、頬が緩みっぱなしだったとほほえむ李さん。

助け合う暮らし

「赤い鳥文学賞」贈呈式で(7月1日、都内のホテルで=左端が李さん)

 李さんは在日同胞の児童文学の草分け的な存在である。解放を迎えたのは三重の女学校時代。多感な16歳の少女だった。その日のことは60年たった今も鮮烈に記憶している。

 「その日、私は朝から元気がなかった。頭が重い、体がだるい、こんな体調では、とても、一日中働ける自信がなかった。私たちの女学校が勤労動員された工場は、特殊な航空服を製造する縫製で終日、うす暗い場所で手縫いの針仕事をさせられていた。結局私はその日も、工場を休んでしまった。軍需工場での勉強もできない毎日に、私は疑問を抱いていた。朝、体調が悪くなるのも、今でいう登校拒否症候群ではなかったかと思う」

 街は敗戦直前にして、米軍の空襲を受けて、焦土と化した。李さんの家は街はずれの一角に奇跡的に焼け残った同胞の家の一室に身を寄せた。集落は超過密状態だったが、互いに助け合って暮らしていた。

 ちょうど正午。ラジオに耳を傾けていた同胞たちが「ワアッ」とざわめき、一人の青年が「マンセー(万歳)、マンセー」と飛び跳ねながら、声を限りに叫んだ。

 「そうだ、朝鮮は日本の植民地から解放されたんだ」。李さんの胸にも熱いものが込み上げてきた。

 「すぐに祖国に帰ろう!」

 「故郷の家族が待っている」

民族学校の教師に

 明るい声で抱負を語りながら、抱き合い手を取り合っていた同胞たち。

 同胞たちはわれ先にと故郷への帰還を急ぎ、船便を求めて、下関港へと集まっていった。しかし、朝鮮半島をめぐる情勢は混沌として、やがて、大国による分断の固定化が進んでいった。帰国の見通しは立たず、同胞たちは自らの権利を守る組織づくりの傍ら、帰国を控えた成人、子どもに緊急だった文字と国語習得の運動を始めた。

 同胞たちは、貧しい懐から資金を出し合い土地を求め、やがて自主的な民族学校を建設していった。

 「私は金城女専を卒業した49年の春、ためらいなく四日市での民族学校の教師となった。教師も子どもも目が輝いていた。オルガン一つない『無』からの出発だったが、未来があった。初めての運動会には近隣から同胞が集まり、カラフルな民族衣装をまとった女性たちの姿が人々の心をいっそう晴れやかにした」

 しかし、喜びもつかの間、各地の民族学校は、米軍政と日本当局の不当な弾圧で閉鎖を余儀なくされた。李さんもこの事件によって政治的に目覚めていった。祖国の分断、朝鮮戦争の激しいうねりに揺さぶられながら、厳しい現実と向き合う日々。

 その後、李さんは上京し、出版事業に携わるようになった。日本語による総合雑誌、月刊「民主朝鮮」や週刊紙の創刊にも関わった。激動の時代に息つく間もないほど多忙な日々が続いた。

 当時、神田神保町にあった事務所は、さまざまな分野で活躍した知識人たちの溜まり場でもあった。作家、詩人、画家、教育者、編集者、評論家−。なかでも、詩人の故許南麒先生とは、お互いの作品を見せ合い、批評しあったことなどが懐かしく思い出されると語る。

 その間、結婚、子育てと両立させながらずうっと総連の出版畑を歩き続け、ライフワークの民話や詩の世界へと進んだ。在日女性作家のパイオニア的な存在でもある。

 「李さんの作品は自らの人生を重ね合わせた詩からなり、やさしくおおらかに子どもの情景をうたっていて、広くて深い詩の世界をつくりあげている」(作家、松谷みよ子さん)と高く評価されている李さん。

 激動の時代を強い意思の力で乗り越え、自らの豊かな才能を開花させた人である。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.8.29]