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〈私たちのうた〉 「愛」のシリーズの翻訳を終えて

 学生が、「朝鮮朝時代に愛の詩はあったのですか」とよく質問する。まったくないとは彼らも思ってはおらず、ストイックな儒教社会においてそういう詩は数も少なく、あったとしても感情が極端に抑制されたものが多いのだろうという推測である。確かに漢詩などは、忠、孝を詠ったものが多いが、詩調はそれよりもう少し生活感がある作品が多いと言える。漢詩の中にも、生の感情がほとばしるような作品もある。儒教というひと括りで時代を見がちだが、それだけしかないはずはなく、人間の生活が多様なように、その生活や感情を詠った詩も、その様相は多様である。画一化された思い込みは危険だと、そういったことを学生に話して聞かせていた折に、この連載の依頼があった。

「歌曲源流」朴孝寛三大歌集のうちのひとつ

 思い込みは、対象の姿を曇らせる。漢詩に比べて、詩調は国文で書かれているので、訳はそんなに困難ではないと思いがちである。

 学生などは、漢詩は漢文なので最初から原文を読むことを敬遠する傾向が強いが、詩調は「朝鮮語」が原文だから見せてくださいということになる。原典を見せてやると、一様に驚き、閉口する。漢文のほうがまだ読みやすいという感想を漏らす者もいる。詩調の原文は、当時の古い朝鮮語で書かれている。現代の朝鮮語に置き換えたものを、「原文」とは呼ばない。今では使わなくなった文字や、つづり方が違う単語、漢字語ではない古語、それに漢文に吐をつけただけというような作品もある。

 また、辞書が漢字字典ほど豊富ではなく、意味が皆目わからないということも、ままある。

 漢詩の場合は、日頃見慣れている現代でも使われている単語などを、思い込みで見過ごすこともある。たとえば、「明朝」という単語は、現代でも使われている意味も持つが、違う意味もある。朝鮮漢文も、和漢文も「漢文」で書かれていることに違いはないが、油断して「漢和辞典」だけを引くと、正確に訳すことができない場合がある。「日本の古典」ではなく、「朝鮮の古典」の訳をしているのだから当たり前のことなのだが、「漢文」という共通項のせいで目が曇るのだ。「明朝」の意味には「朝日が昇る明るい朝」(「大漢韓辞典」教學社)と言うほどの意味があるので、「明日の朝」と訳してしまうと文脈が合わない。

申潤福の「月下情人図」

 また、朝鮮の漢字字典ではあるが、小事典や中辞典には載っていない熟語や用例が多い。大辞典は重く、うっかり足の上にでも落とそうものなら骨折してしまいそうなほど扱いづらいので、つい軽い辞書をということになりがちである。

 緑茶を朝鮮でも飲んでいたことや、「茶詩」というジャンルがあるということ、仏教と茶の関わりなども詩を通して気づかされる。「奎閤叢書」の憑許閣李氏が茶畑を経営し、夫を支えた事実は有名である。

 儒教の束縛のため、女性の行動が著しく制限されてはいたが、抑えきれない感情を詩に込めていたことや、大丈夫と呼ばれた男性たちも、時に詩の中に正直な思いをつづっていたことも、思い込みを払拭するものである。いつの時代も、人が何に喜び、悲しむのか、大きな違いはないと再認識させられる詩も多くあった。

 漢詩や詩調を訳していると、思い込みに「要注意」ということを再度気づかされる。「古いから」「儒教だから」「漢文だから」という「〜だから」という考えは危険である。実際どうであったのかを調べ、読み、考えるのが一番である。訳語も、古典は古臭く古語を多用し、いかめしくするべきだと思いがちだが、「この古い詩も当時は古いものではなかった」という立場から、現代的に訳すよう努めた。

 おおよそ、老若男女、民族の違いや、文化の違いを超えて、誰にでも共感できるのは「愛」を詠った詩ではないだろうかとの想いから、一年近く、古い詩の中からさまざまな愛を詠った詩を訳すことを決めた。「愛は全てに優る」という言葉は、思い込みではないだろう。とても楽しく、心躍る作業であった。(朴c愛、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2005.8.31]