〈本の紹介〉 在日無年金訴訟をめぐる人々 「声を刻む」 |
国籍を理由に、年金制度から排除される在日一世のハルモニたち。人生の晩年を迎えて今、日本政府を相手に訴訟に立ち上がった彼女たちが、それぞれのライフストーリーを赤裸々に語る。 植民地支配下の朝鮮での幼年時代から戦後日本社会での60年を彼女たちはどう生きてきたのか。こうした疑問を発し、その苦難の歴史をたどり、もつれた記憶に迫りながら、ハルモニたちの人生に寄り添う著者の姿勢に好感が持てる。 彼女たちが生きてきたのは、在日を差別し、抑圧し続けた戦後の日本である。隣国を侵略し、すべてを奪い尽くした日本は、敗戦後もあらゆる不正義と不当な手段で彼女たちの尊厳を踏み躙り、人間らしい暮らしを拒み続けた。現役の新聞記者である著者は、そうした不条理を政治的、歴史的に追及するかたわら、彼女たちの語りに耳を澄ませ、その生の細部に目を凝らし、強い同情を寄せ、その迫害と暴力の本質を浮き彫りにしていく。 そして、問う。「いったいいつまで、この国は、排外の歴史を続けるのか」と。 「いったいなぜ、ここまで他者を拒み、均質にならされた国民の集まりを展望するのか。いったい何に固執し、何を守るために、ここまで人を抑圧できるのか。アイヌシモリ、沖縄、台湾、朝鮮、中国……侵略と略奪を重ねた自らの近現代史を覆い隠し、その責任で生み出した『難民』の存在を忘却しようとする姿。その、虚飾で塗り固めた『国民の歴史』が、他者の存在によって揺らぐことを恐れているのか。これがこの国の敗戦後60年目の行為である」と著者は憤る。 この「国民の歴史」の裏面史を暴露し、国家の責任を問う訴訟が関西方面で相次いでいる。00年3月、京都地裁で始まり、現在、大阪高裁で係争中の「障害者」無年金訴訟、03年、大阪地裁に提起された在日高齢者訴訟。しかし、同地裁は今年5月、「立法裁量権」を用いて、一世たちの請求を棄却するという暴挙に出た。そして04年、京都地裁での在日高齢者の集団訴訟である。長年にわたる行政との交渉。そして、司法の場への訴え。 在日を排除しつづける日本当局に対し、あえて金も時間もかかるが、捨て置かれ続けてきた現実に抗い、訴訟に踏み切った原告たち。 ある原告の心の叫びのような陳述を本書は取り上げている。 「今まで私たち一世は生きていくことに必死で、差別を訴えることができませんでした。また、そんな権利とか分かりませんでした。植民地にされるということは、そういうことで、国を盗るということだけでなく、人の脳みそを抜いてしまうということです……。 裁判をおこしたのは、そんな歴史を知ってほしかったことと、朝鮮人を差別したこと、また、今も差別していることを世間に知ってもらいたかったからです。そしてそれが、二世、三世のためになればと思ったからです」 植民地支配を受け、すべてを根こそぎ奪われても、その人の持つ人間性、命の輝きまで奪えなかったことをこの陳述は語って余りある。苦難の半生を歩んでも、常に未来に目を向け、次の世代のために全力を尽くそうとする崇高な意思。本書に網羅された歴史の証人たちの一人一人の肉声、つぶやき、その豊かな人間の精神に目頭をぬらさずにはいられなかった。 そして、それとは対極にあるアジアの隣人と共に生きることを徹底的に拒む日本政府の執拗さを本書は追及していく。連綿と続く排除の歴史を浮き彫りにする鋭い視点。ゆがんだ日本社会で、強者に対して怯むことなく闘い、民族への愛を抱き続けたハルモニたち。ぜひ、手にとってほしい秀作である。(中村一成著)(粉) [朝鮮新報 2005.9.11] |