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〈姜輝鮮朝鮮舞踊研究所創立25周年記念発表会〉 「舞踊人生」40年 輝くステージ

舞う、舞いあがれ! ひとつになるまで

大群舞「兄弟星」

 さる8月25日、姜輝鮮朝鮮舞踊研究所創立25周年記念・舞踊団ナルセ創立9周年記念発表会「舞う、舞いあがれ! ひとつになるまで」が大阪・森ノ宮ピロティーホールで上演された。

 文芸同中央・金正守委員長、映画プロデューサーの小林正夫氏、演出家の鶉野昭彦氏、女優の新屋英子氏、汎民連日本地域本部・梁東a議長、日朝国交正常化早期実現を求める大阪府民の会・有元幹明事務局長、団員、研究生の友人、家族など1200余人が公演を観覧。開場2時間前から長蛇の列が作られた。

 発表会は、6.15共同宣言発表5周年、祖国解放60周年を迎えての舞台らしく、第1部のオープニングでは出演者総出での練習風景ほか、「電車ごっこ」「兄弟星」「統一路」と、わが民族の統一への思いを込めた作品が披露された。

舞踊組曲「青い鳥よ、私の想いを伝えておくれ」の一場面

 第2部では、舞踊組曲(7場5景)「青い鳥よ、私の想いを伝えておくれ」を上演。北南分断により引き裂かれた父と息子が、渡り鳥の研究を通して互いの存在を知るという実話をもとに舞踊作品化(姜輝鮮脚色、構成)した。この物語は以前、映画「バード」にもなった。

 青い鳥が空に舞い上がり、統一をいざなう羽ばたきが会場いっぱいに共鳴し、出演者と観客が一体となり涙を流した。

いつまでも鳴りやまない拍手の中、カーテンコールに応えた姜さんは、「私どもが25年も続けてこられたのもみな様のおかげです。心より感謝します」と感慨を込めてあいさつをした。

 研究所には、23年間学び続ける3姉妹を筆頭に、紙オムツをつけた3歳のチビッ子、若者など40人の研究生がいる。

群舞「古代の舞踊」

 大阪文芸同舞踊部長を14年間務めた姜さんは、同胞が多く住む大阪の地に民族文化の伝統を引き継ぎ、在日コリアンの民族意識を高め、祖国統一に少しでも寄与したいとの思いから80年5月、在日初の朝鮮舞踊研究所を設立した。そして87年には初めて祖国訪問。

 設立後、毎年欠かさず発表会を開き、10周年には中国(延辺、北京)で海外公演。93年には米国、95年には民間の舞踊団として初めての平壌公演を成功させた。

 「良い時も悪い時も祖国は祖国だ。今まで頂いた義理を忘れたことはない」「何よりも願ってやまなかった平壌公演終了後、観客が総立ちになっていつまでもいつまでも熱い拍手を送ってくれた祖国の温かさを私は一生忘れない」と姜さんは熱く語った。

カーテンコールに応える姜輝鮮さん

 舞台で日頃の練習成果をめいっぱい出そうとするチビッコたちの姿に、中央区在住で朝鮮舞踊ファンの田川さん(57)は、「幼いお子さんをここまで育てあげた先生はご立派で頭が下がります」と話した。また、夏休み返上で猛レッスンに取り組み、幼い娘役・ヒャンを見事踊り切った康鈴香ちゃん(4世、12)は、「先生の指導を受けて、大人たちの統一への想いが少しはわかったような気がした。クンハルメも泣いていた」と話した。

 生野区の高碩敦さん(71)は、「知らず知らず涙が頬を伝ってきた。音楽と舞踊のすばらしさに心が震えた」と語り、映画「バード」をプロデュースした小林正夫氏(69)は、「舞台のでき映えのすばらしさと同時に、私は日本人が過去、朝鮮民族とその文化芸術までをも蹂躙した歴史を思い返した」と感想を述べた。

 幾多もの試練を乗り越えてきた研究所。発表会はまさしく姜さんの「舞踊人生」40年を通して築き上げた独自のステージであるかのように思えた。

 1世の後について見よう見真似で踊った少女時代、デモ隊の先頭でシュプレヒコールをしたこともあった。

 大阪朝高舞踊講師時代は「好きな舞踊を仕事にできる自分が1番の幸せ者」と口癖のように言っていた姜さん。そして、独力で研究所設立に奔走し、後進の育成と在日の民族文化のさらなる発展のために尽くしたこの25年。よりいっそう大きく羽ばたいてくれることを心より願ってやまない。(黄河春、女性同盟大阪府本部顧問)

[朝鮮新報 2005.9.20]