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〈私と朝鮮新報−創刊から60年(中)〉 高演義、朝鮮大学校教授

 朝鮮新報と私との関係は、じつは深い。因縁浅からず。

 還暦を迎えたというお互いの年の近さもさることながら、朝鮮新報社は私にとって人生の礎そのものだった。

 日本の大学から「ぽっと出」の私を、新報社は迎え入れてくれた。当時世界150カ国へ向け発信するピープルズ・コリアのフランス語版記者として育ててくれ、私の骨格の中に、真のジャーナリズム精神を植えつけてくれた。実際、大学で学んだフランス語なんてなんぼのものだか。新報社の5年間、ほんと、実践的な生きたフランス語を身につける事ができた(だからこそ、その後数十年、朝鮮大学校フランス語教授の仕事を務めることができた)のである。

 新報社が、わが人生の土台を築いてくれたというもう一つのわけは、一日の新聞製作が終わったあとの、楽しく充実したチョチョン(朝青)活動である。夜遅くまで、毎日情熱を注いだあの頃のチョチョンの仕事が、社会活動家としての私のオリジンだ(チョチョン員だけでも社内には150人以上いた!)。

 激動の1960〜70年代。朝鮮による痛快な米スパイ船「プエブロ」号だ捕事件、歴史的なベトナム解放…次々と入ってくる通信に胸おどらせながら、私たちチョチョンは家にも帰らず、24時間態勢で、毎日朝鮮中央通信の電波を眠い目をこすりながらキャッチし続けたのだった。

 編集局の机の上にふとんを敷いて寝たりした。机を確保できない時は、コンクリートの廊下に。

 思えば、さまざまな時代の激流を乗り越え、60星霜、新報は、いつも在日同胞と共にあった。同胞の歌を歌い続け、民族を語り、かなたの祖国を伝えてきた。

 私自身、社外執筆者として国際問題など、たくさんの記事や論文を書いてきたが、ここで確信に近いところを一言述べるなら、それは、この差別社会、情報垂れ流し国家にあって、本紙は、ほとんど唯一の正確な視点と分析の拠点であるということだ。まさしく「ウリ(私たちの)新報」。

 なかなか「本当のこと」が伝わってこない情報鎖国ニッポンにあって、今後とも民族を感じ考えさせる紙面作りをすえ長く期待したい。オリジナリティと、アイデンティティと、そしてその頑ななまでの真実追究の姿勢を保ちつつ…。

[朝鮮新報 2005.10.4]