〈本の紹介〉 ディアスポラ紀行−追放された者のまなざし− |
「ディアスポラ」とは、すこし聞きなれない言葉であろう。字引を引くと、もとはギリシア語で、「(1)離散。(2)パレスチナから他の世界に離散したユダヤ人。またその共同体。」(広辞苑)とある。本書では、ユダヤ人にかぎらず、「自らが本来属していた共同体から離散することを余儀なくされた人々、およびその末裔」を指す言葉として、ディアスポラを用いている。 離散を強いられた理由はさまざま。奴隷貿易であったり、植民地支配であったり、地域紛争や世界戦争であったり…。 ただ、いずれの場合にも、そこには、近代が生み出す「暴力」が働いている。 朝鮮人もまた、過去一世紀の間に植民地支配、第2次世界大戦、民族分断と内戦、軍事政権による政治的抑圧などを経験し、相当数にのぼる人々がルーツの地である朝鮮半島から世界に離散することになった。コリアン・ディアスポラの総数は、現在およそ600万人といわれている。在日朝鮮人もその一人である。 著者の徐京植さんは、在日朝鮮人2世の作家。自身もまた、日本の植民地支配が生んだ多数の「コリアン・ディアスポラ」の一人なのである。 徐さんは、韓国やヨーロッパへの旅の中で、ディアスポラ性が色濃く刻印されたアート作品や文学作品に出会う。そうした作品を見つめ、読み解きながら、ディアスポラを生んだ「近代」とは何であったのか、「近代以後」の人間はどこへ向かうのか、を深く考察してゆくエッセイ。 著者が絶えず、自分は何者であるかを自らに問うようになったのかは、高校3年生、18歳の時に出会ったフランツ・ファノンを読み、烈しく撃たれたからだという。 「植民地主義者は他者の系統だった否定であり、他者に対して人類のいかなる属性も拒絶しようとする狂暴な決意であるあるゆえに、それは被支配民族を追いつめて、『本当のところおれは何者か』という問いをたえず自分に提起させることになる」(フランツ・ファノン「植民地戦争と精神障害」「地に呪われたる者」みすず書房) 徐さんにとってこの言葉は啓示のような言葉だったという。ファノンは、フランス領マルチニックに生まれ、フランス本国で精神医学を学んだあと、アルジェリア解放闘争に身を投じた。この一人のディアスポラの強い言葉が、東アジアのディアスポラである徐さんの目を覚まさせた、と。 つまり、「自分は何者であるのか」という問いにとらわれているのは、「植民地主義」による系統だった否定」のゆえだった。それは徐さん一人に起きていることではなく、私たち、つまり、植民地主義によってディアスポラとなった者すべてに起きていることなのだ。在日朝鮮人は世界的に見て、例外的存在ではなく、孤立した存在ではないということに気づく。 イラク、パレスチナ、チェチェン、スーダン−世界のいたるところで理不尽な破壊と暴力が続き、朝鮮半島で戦争の不安が高まっている。日本では戦前のような翼賛議会が誕生し、軍事大国化が進む。 また、新たなディアスポラたちが生み出されるのか。 「追放された者のまなざし」が見透かされる世界に分け入る旅人のような味わいの一冊。共感を覚える。(徐京植著)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2005.10.4] |