〈私と朝鮮新報−創刊から60年(下)〉 梁大隆、総連東京・大田支部総務部長 |
朝鮮新報創刊60周年に際し、数々の思いが脳裏をよぎる。 ひとえに60年と言っても異国の地で、自身の機関紙を創刊し今日まで守ってきたということはある意味、奇跡と言えるであろう。
60年の歴史に比べれば、私が朝鮮新報を知り、愛読した期間というのはほんのわずかにすぎない。 思えば初級部の頃、コマ配達員を始めたのが朝鮮新報との出会いであった。お小遣いをもらえるという、単純かつある意味不純な動機で始めたのであったが、そのことを知ったオモニから大目玉を食らったのを思い出す。オモニいわく、適当な気持ちで引き受けてはいけない。引き受けたからには毎日必ず配達しなければいけない。 なぜなら、朝鮮新報を毎日心待ちにしている同胞たちがいるからと言うのであった。その時は、急にわけもわからず叱られた私であったが、今になってその意味を少なからず理解できるようになった気がする。 いつしか、高2の頃から朝鮮新報の愛読者であった。その後、18歳から現在に至るまで、大学の間を除けば、絶えず、朝鮮新報の配達、集金をしてきたので、朝鮮新報は自身のライフワークと切っても切れなくなっている(雨が降るとまず、新報の配達の心配が先立つ毎日である…)。 その配達、集金の過程で同胞たちから多くのものを学んで今日の自分があると自負している。 朝高卒業後、私自身の仕事にプラスになるようにと、朝鮮新報のスクラップを始めた。 当初は知り合いが載れば記念にと、軽い気持ちだったが、時が経ち、また、知り合いも増えていく過程で今では数十冊になった。 新報との思いを語るのに欠かせないのが18歳の頃である。当時、東京朝高を卒業し、がむしゃらに仕事をしながらも自分自身の無知さに悔しさを感じていた。何からどう勉強していいのかと悩み、決めたことがまず、新報の記事を全面熟読することであった。 それが私自身の勉学の出発点であったと言っても過言ではないであろう。 近頃はあの頃のように、朝鮮新報を読めていない自分自身をあらためて反省することもしばしばある。 近年は、時折り、朝鮮新報への投稿をするほか、記事に対しても率直な意見がある時はできるだけ反映するようにと心がけている。 これから、朝鮮新報がこのめまぐるしい情勢の中で、同胞大衆紙として、より発展していくことを切に期待すると同時に、輝かしい21世紀の統一朝鮮民族の歴史を記す「民族統一紙」として、その名をとどろかせるとともに、その牽引役としての活躍を多いに期待したい。 [朝鮮新報 2005.10.6] |