柳煕貞先生の物語(下) 「文学作品に脈打つ不屈の魂」 |
手弁当で作品探し 朝鮮戦争で焼却、流失したり四方に散らばってしまった作品を探し求めて、先生は毎日手弁当で人民大学習堂や大学の図書館、科学院図書室、個々の作家の家族を訪ねた。そして、申采浩、韓竜雲など有名な作家はもちろん、わずか1、2編の作品しか発表していない作家の作品まで全部探し出し、その中から愛国心、民族心が強く、現代性、芸術性を兼ね備えた作品を選び、一つひとつ筆写していった。その後、漢文と外来語は朝鮮語に直し、つづりも現代のものにするなど、ぼう大な作業に夜を徹する日が続いた。 科学院文学研究所と各大学の著名な教授、博士である金河明、劉萬、殷鐘燮、李東秀、朴春明先生、それに、作家同盟部門別副委員長、評論分科委員長らに輪読、選択を依頼し審査を受けた。出版社内部、国の検閲を経て出版に至る。 こうして3年かけて最初の仕事、89名の詩人と彼らの詩973編をまとめた「1920年代詩選」1〜3(「現代朝鮮文学選集」13〜15)が出版されたのだ。 その後、1920年代の児童文学集(1.2)、戯曲集、随筆集と革命詩歌集、そして1930年代詩選(1〜3)と児童文学作品集(1.2)、小説集などを続けて編さんした。 およそ20年、先生が今まで編さんした作品集は実に20冊にのぼる。ここに載った作家は実数200余名、延べ643名、作品の数は2372編に達する。 惜しみない努力
私が最も驚いたのは、質的向上のために先生が注いだ並々ならぬ努力である。まずは作家同盟を訪ね自身の資質を高めるための指導を受けた。そして93年に作家同盟の同盟員候補、96年には正規の同盟員になった。今も次男で作家の金鐘碩と共に月末、年間の作家講習に必ず参加している。主体的文芸思想と理論の学習、その時の党の要求を把握することは作品を見分けるに欠かせない資質だという。 これ以外にも作家の経歴、出版実績の掌握、参考となる文学史、評論など関連図書からも目を離せないという。 先生の話を聞きながら、私は創作に直接従事する作家の資質はもちろんだが、新しい作品を探し出して分析し、編さんする人の資質もまた、それに劣らず重要であるということを知った。 このように、念のいる仕事を立派に成し遂げることができたその力の源は、はたして何だったのだろうか? 「私が探し出した作品の一編一編には、日帝の過酷な弾圧と迫害により伏字削除をされながらも、明るい未来を夢見て闘い抜いた朝鮮民族の不屈の意志、勇敢で才知に富んだ民族の魂が脈打っていた。だから読めば読むほど愛着心がわき、探し出した時の喜び、それはとても言葉で言い表すことができない」 このように先生は言いながら、やってきたことよりこれから先、やらなければならないことの方が多いと語った。 先生のお願い 先生のノートには、これからの計画がびっしりと記されていた。今年から始めたコンピュータをマスターすること、それもその一つである。そればかりか、自分の仕事を孫が引き継げるようその準備も着実に進めている。 別れ際、先生はこう語った。 「次女の消息がいまだわからない。その娘といっしょに暮らせる日が来たら、私は自分が編さんした本を、娘の胸にいっぱい抱かせてあげたい」 心にしみることばであった。私も残った人生を先生のように生きられたら…。そんな想いが熱くこみ上げてきた。(呉香淑、朝鮮大学校文学歴史学部教授) ※5男2女の姉弟(妹)のうち、先生と妹は朝鮮で暮らし、弟5人は米国で暮らす。弟の消息は89年、平壌で開かれた第13回世界青年学生祭典の際に知り、2004年平壌で44年ぶりに4人の弟と再会した。 ※夫の遺稿集である「李奎報作品選」は今年6月、南朝鮮で「李奎報作品集1−東明王の歌」「李奎報作品集2−造物主に聞く」(「キョレ固典文学選集」5、6、麦出版社)として発行された。 [朝鮮新報 2005.11.6] |