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ピープルシアター第41回公演 「二人の柳」

朝・日近代史のゆがみ 鋭く抉る 「知らないことの恥ずかしさ」

「魂の解逅」の場面

 ピープルシアター第41回公演「二人の柳」が10月26日から30日まで、東京・池袋の東京芸術劇場で上演された。

 この公演は演出家の森井睦さんの書き下ろしによるもの。作品は、日本敗戦後60年にあたり、日本の植民地支配下の暗黒の時代を生きた朝鮮の抗日運動の女性闘士・柳寛順と日本の知性と良心で民芸の父といわれた柳宗悦を描いた。同時代を生きながらも決して出会うことがなかった二人の魂の邂逅と「対話」が、物語のキーワードである。

 森井氏は「今の日本の状況は、戦前に近づいているようで段々油断がならない気がする。有事法制が成立し、戦争放棄をうたった日本国憲法は風前の灯。そんな中で、日本と朝鮮の今後のあるべき姿を照らし出し、国家による殺りくとテロに明け暮れる混沌とした私たちの世界に、NO!の声をあげたかった」と上演の意図を語った。

朝鮮民族の力強い抵抗を群舞で描いた

 舞台は、1919年の3.1運動を契機に全土に拡大していった朝鮮独立運動をリアルに描く。武器を持たない平和的な民衆のデモだったが、「独立万歳」の声は、ソウルから全朝鮮に、町から村へ、村から村へと、瞬く間に広がっていった。これに驚がくした日本は軍隊、憲兵、警察を動員して、デモ参加者を暴徒と決めつけ、発砲、殺りく、拷問、放火など、残忍なやり方であらゆる弾圧を行った。中でも凄惨をきわめたのが、この舞台でも描かれている19年4月15日に起きた京畿道郷南面の堤岩里事件である。水原地方の運動鎮圧のために派遣された日本軍は、訓示するといって、住民を教会に集め、外から封鎖して建物の周りにガソリンをまいて火を放ち、一斉射撃して皆殺しにした。日本軍は近くの村々でも虐殺と放火をほしいままにしたのである。全国で虐殺されたのは7500余人、負傷者は1万6千余人にのぼった。

 3.1運動では女性もめざましく活躍した。「朝鮮のジャンヌダルク」として、いまでも人びとの胸に生き続けるのが、柳寛順。いま、南の「独立記念館」が建つソウル南方、天安の生まれ。当時、梨花学堂(現、梨花女子大学)に在学中の16歳の少女だったが、帰郷し、定期市の日に村人と一緒に独立行進して、その先頭に立った。憲兵の発砲で寛順の両親を含む30余人が虐殺され、彼女も首謀者として逮捕され、凄惨な拷問のすえに殺されてしまった。わずか18年の生涯であった。

「二人の柳」の舞台

 柳寛順は獄中でも闘争をやめず、「日本人にわれわれを裁く権利はない」と叫んだ。そして最後の言葉は「日本は必ず滅ぶ」だったという。

 舞台には、大きな坂道と四隅に生の竹だけという能舞台のような装置が作られた。ブレヒトソングのような歌と、朝鮮舞踊を思わせる群舞が印象的だった。そのシンプルな空間で、揺るぎない民族への愛を貫いた柳寛順と朝鮮民族の独立運動を強く支持する一文を発表した日本の知識人柳宗悦の姿が浮かびあがる。それは時空を超えて、今の朝・日関係のゆがみを鋭くえぐりだし、今後のあるべき姿に示唆を与えるものとなった。

 森井さんは、朝・日近代史の暗部について、「あまりにも無知だった」としながら、同時代を生きた「二人の柳」の存在を通して、日本人が「知らないことの恥ずかしさ」を心に刻むべきだと語った。

 さらに、過去に目をつぶり続けるのではなく、日本が朝鮮半島を植民地にした事実に真正面から向き合い、真しな反省に立ち、和解の道に踏み出すべきだと力説した。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.11.9]