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〈本の紹介〉 一九〇五年韓国保護条約と植民地支配責任−歴史学と国際法学との対話

 この本は、日本では「第二次日韓協約」として知られる「乙巳5条約」の法的効力をめぐる周知の論争に、著者独自の観点から切り込んだ問題提起的労作である。著者は、まず先行研究を顧み、これまでに出現したぼう大な史料を駆使してそれらを詳細に検討し、法的根拠を認める学説に対し、評者から見て説得力のある反論をおこなっている。とくに、有効論の論拠となっている史料考察が日本側の公文書に安易に依拠しているという、歴史学の原点である史料批判に基づく指摘は鋭い。だが、この論争で特徴的なことは、いかに史料面から当時の韓国あるいは韓国の為政者にたいする日本側からの強制の事実が立証されても、「強制とは何かについて、当時の国際法の定義そのものが不明確であった」という有効論者の論拠を崩すことが暖簾の腕押しのように困難な点にあるのではないだろうか。しかし、まさにその点で、「歴史学と国際法学の対話」という学際的接近を提唱する著者のもうひとつの特色が効力を発揮する。

 著者は、歴史家ならではの視線を国際法学の足跡に注ぐという大胆な試みに歩み入り、一口に国際法といっても、実定法的な色合いの濃い「弱肉強食」的性格のものと、正義と人権に向かう規範的性格のものがあり、歴史は後者が強まる方向で進んできたという。これを国別の受容の仕方で見るならば、朝鮮では、儒学的伝統からしても、自然法的な後者が受け入れられ、日本では、とくに近隣アジア諸国に植民地支配を押し付ける便宜上からも、前者が、東京帝国大学を核に、国家の要求に応じる過程で受け入れられるという事態が進み、これが「乙巳5条約」の有効論の背景になっているという。

 こうした学問論にも立脚する著者は、考察を「乙巳5条約」の前史のみならず事後にも及ぼし、解放、独立にいたる40年間は「併合」ではなく、義兵の抵抗に始まる占領時代であるという認識を示し、さらに現代の日朝関係まで長い展望で論じているし、学際的見識においても上記の二つの学問分野だけでなく、一国の政策決定過程や国家と運動のアンビバレントな関係といった政治学的な問題にまで踏み込んで論じている。また事象の評価を、それ自体として論じるのではなく、通時的な関係性の文脈で見ようとしている点など評者の見方と重なる点も少なくない。

 他面、帝国主義を、理由と原因の区別とか、構造の中での行為主体の選択可能性といった問題の考察を簡単に飛び越え、「政策」と定義する点などには疑問も感じるものの、「あまりにも政治的」といった理由で多くの研究者が避けてきたこの問題が、あまたの研究者を巻き込んで討議され、政治の側においてもその学問的成果を誠実にうけとめてもっとも好ましい方向に歴史が発展していくための新たな一里塚を、康成銀氏の労作が築いたことは否定できないのであって、その上梓を心から祝いたい。(創史社、康成銀著(百瀬宏、津田塾大学名誉教授)

[朝鮮新報 2005.11.30]