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〈本の紹介〉 植民地支配・戦争・戦後の責任−朝鮮・中国への視点の模索

 本書の構成は四部からなっている。第一部、近代日本の思想と朝鮮、第二部、満州農業移民、第三部、在日韓国人良心囚徐兄弟の救援中に出会った人々、第四部、植民地支配責任、戦争責任、戦後責任−以上の構成をアンバランスとみる人がいるかもしれない。

 しかし、それは著者が「まえがき」で「本書のねらい」に書いてあることを読んでからにしてもらいたい。「この本ではいわゆる学術論文だけでなく、現実の生活で出会い、学術論文執筆の源泉となった生の問題を語った随筆や回想録なども収めた。そうした形で、市民として、また専門的歴史研究者として日本が犯した東アジアに対する侵略と植民地支配の遺産の清算に悪戦苦闘した自分の戦後史を明らかにしてみようというのが、本書の狙いである」。

 日本には歴史研究の仕事と社会的運動を結合させて活動する稀有な人々がいる。若くして逝った梶村秀樹氏はその先駆的存在だったが、評者は山田昭次氏もその一人と思っている。第一部はいわば4章からなっているが、第1章の内容は「征韓論」と「江華島事件」に対する自由民権派の対朝鮮認識、日本の優位と朝鮮の劣勢という視点から脱却できない、日本の当時の「進歩派」の限界性を痛烈に衝いたものである。この論稿は、第二章「世界史のなかの自由民権運動」と共に日本歴史学界に歴史的に進歩派と目された人々の対朝鮮認識のゆがみを鋭く指摘し、現在も未克服だと、その対朝鮮認識の見直しを迫るものとなった。

 以上のほか、本書の各部、各章に立ち入って内容紹介をしたいが、字数が許さない。金子文子や吉野作造の朝鮮観や満州農業移民に関する悲惨な歴史の本格的調査、また、良心囚徐兄弟の母、呉己順さんの話や、救援運動中に出会った人々の話、さらには植民地支配の責任や戦後責任という非常に重いテーマに取組んできた著者の一貫した、求道者的ともいえる姿は大変にすがすがしい。「あとがき」で著者はいう。「これらの作品は一見朝鮮や中国を対象として論じているように見えるかもしれないが、実は朝鮮や中国の認識を通じて近現代史を生きた日本人の歴史的な姿を明らかにしようとしたのである」。また、「私も戦後、…、自分は戦争の被害者という感覚しか持たなかった。自分が戦争の被害者であると共にアジアに対しては加害者であることをはっきり自覚したのは、一九六四年に日韓条約反対運動に参加するようになってからである」とも書いている。ちなみに本書は、故金鐘鳴先生に捧げられている。どうか、ご一読を。(八月書館、山田昭次著)(琴秉洞、朝・日近代史研究者)

[朝鮮新報 2005.11.30]