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〈本の紹介〉 平和ミュージアム

 戦争は人の命を奪い、人間の可能性を根こそぎ奪い去ってしまうので、もちろん「平和」ではない。しかし、「平和」は「戦争がないこと」だけを意味しない。

 本書の刊行責任者である安斎育郎・立命館大学国際平和ミュージアム館長は、その理由について次のように指摘する。

 「私たちの能力が豊かに花開くのを妨げている社会は、決して『平和な社会』とは言えないからです。貧しい国に生まれたために満足に教育を受けることができなければ、自分の能力を伸ばすことはできません。差別を受けて就職で不利な扱いを受けたりすれば、やはり社会生活のうえで自分の力を思う存分発揮する機会を奪われることになります。肌の色、性別、身体的障害、宗教や思想、信条などによる差別も、人々の自己実現を妨げる原因です」

 現代の平和学の分野では、人間の能力の全面開花を妨げる原因を「暴力」と呼んでいるのである。その中には、戦争という直接的な暴力もあれば、日常的ないじめや殺人も直接的暴力の例である。

 一方、飢え、貧困、社会的な差別や不平等、人権抑圧、不公正、環境破壊、教育や医療の遅れなどは、いずれも人々の能力の全面開花を妨げる社会的原因であり、「構造的暴力」と呼ばれている。

 人はみな、それぞれが持っている価値観にそった生き方を願い、その中で自己実現をはたしたいと望んでいるのだ。

 そのためには、暴力がない、自己実現が豊かに保障される社会こそが「平和な社会」であるといえよう。

 本書は、そうした人々の願いを実現するために、暴力から目をそらさず、しっかりと平和について学ぼうという趣旨で生まれた。そしてまた、平和は「知識として学ぶ」だけでは十分ではなく、「自分に何ができるか」という実践的な視点と行動を模索すべきだとの観点で一貫している。

 一つ苦言を。本書ではしばしば、「15年戦争」という言葉が使われている。つまり、日本の侵略戦争の起点を満州事変からとする歴史観である。はたして、それでいいのか、と強く問いたい。19世紀末以来の朝鮮侵略と植民地支配の歴史を軽視する考え方が、敗戦後60年経った今も、日本の歴史、社会学界を広く覆っている。このゆがみが日本と朝鮮半島全体の関係正常化と和解を阻んではいないか。本書の暴力根絶と平和構築の意欲に共感するがゆえに、残念な気がしてならない。

 DVD映像/約35分 展示、資料収録(小、中学生のジュニア用に、わかりやすいナレーションが付いた映像も収録)。(立命館大学国際平和ミュージアム監修)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.12.25]