top_rogo.gif (16396 bytes)

〈第84回全国高校ラグビー大会〉 大阪朝高ラグビー部元主将の玄泰成さん、白血病乗り越え応援

観客席で後輩の勇姿を見守り、声援を送る玄泰成さん

 03年に続き2年連続で全国高校ラグビーフットボール大会出場を果たした大阪朝高。その応援席に、白血病に苦しんだ大阪朝高ラグビー部OBの玄泰成さん(25)の姿があった。

 玄さんは8年前の大阪朝高ラグビー部主将で、昨年5月に退院した。朝高1年からラグビーを始め、プロップとして活躍。主将になった97年には府予選準決勝まで進んだが「花園」へのキップは手にできなかった。

 朝鮮大学校に進学してもラグビーを続けた。3年からはその実力と厚い人望が買われ、主将を任された。卒業後は、東京の会社に勤めながら朝大ラグビー部の指導にあたった。

 ラグビーに傾ける情熱は人一倍強かった。そんな玄さんに突然不幸が訪れた。

 03年8月、急に首が痛み体調を崩した。都内の病院で診察を受けた結果、急性白血病と診断された。

 親兄弟の住む大阪の病院に入院し、抗がん剤治療を始めた。一日中点滴を続ける闘病生活が始まり、85キロあった体重は55キロまで落ちた。

 白血病の有効な治療は骨髄移植と言われる。兄弟は4分の1の確立で適合するが、玄さんの場合は残念ながら一致しなかった。両親、親族にも一致する人がいなかった。日本約18万人、韓国約4万人、台湾約22万人が登録されている各骨髄バンクにもあたったが、一致する人はいなかった。

 そんな中、同年10月17日、同級生3人を共同代表とし「白血病と闘うヒョン・テソン青年を支援する会」が発足した。50余人の有志で事務局を結成し、支援協力と「骨髄バンク」事業の解説、宣伝、「骨髄バンク」登録者の募集、支援募金の協力を訴えた。

 「自分のために朝高同窓生、全国のラグビー関係者、全国の同胞らが尽力してくれ、本当に感謝している」

 闘病生活の玄さんに、大阪朝高ラグビー部が「花園」への初出場を決めたうれしいニュースが届いた。そして、金信男監督や後輩らが見舞いに訪れ、励ましの言葉が書かれたラグビーボールと千羽鶴を玄さんに送った。千羽鶴の帯には2つの願いが書かれていた。一つは「全国大会出場」。もう一つは、「ヒョン・テソン先輩の回復」だった。

 12月30日(03年)、2回戦の正智深谷(埼玉)戦に、応援に駆けつけた。敗れはしたが、後輩らの堂々とした姿に「自分も負けられない」。

 昨年2月、さい帯血の移植を受けた。成功の保証はなかったが症状は上向き、今では軽い運動が出来るまでに回復した。すべての関係者、同胞たちの思いがしっかり届いた。

 「今の自分があるのはまず、全国大会に出場してくれた後輩たちの姿に励まされた事、そして全国の同胞らの支援、同胞組織があってこそだと思っている。これからも前を向いてしっかりと歩んでいきたい」(金明c記者)

[朝鮮新報 2005.1.1]