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〈投稿〉 暗雲吹き飛ばす戦い

 大阪朝鮮高級学校が、静岡東海大翔洋との初戦の最後、ロスタイムに、相手側チームの反則で与えられたPGのチャンスをきっちりと生かし、劇的な1回戦勝利を決めた瞬間、我知らず「マンセー(万歳)」を叫んで泣いていた。

 愚息がラグビーを始めるまでは、体育会系の厳しい上下関係や粗暴な根性論などのイメージが先行して、スポーツマンが日の当たらぬところで黙々と積み重ねている日々の努力や、精神の強じんさに目を向けられなかった。しかし、日常の生半可ではないたゆまざる努力を身近で目のあたりにするようになってからは教えられることが多く、「知能」にばかり価値を見出していたそれまでのごう慢を心から恥じるに至った。スポーツの尊さ、美しさに胸打たれるようになった。

 今回の大会は僅差のゲームが多く、「運も実力のうち」とはいえ、どちらが勝者になってもおかしくない状況での懸命な敗者の涙には、それまでの日々が思われるだけに切なく、心からの労いと称賛の拍手を送らずにはいられない。

 もう一つの涙のわけは、拉致事件をきっかけに日本中で吹き荒れている朝鮮バッシングの中での、朝鮮学校生徒たちの暗雲を吹き飛ばしてくれるような戦いぶりが愛しかったからである。在日3、4世の彼らは、日本語による日本の学校の教育ではなく、朝鮮語による民族教育を受けているという理由で、長くあらゆるスポーツの公式試合に参加することが許されなかった。

 今大会には、他校に朝鮮名の選手もいるが、民族名を捨て日本名での参加選手も幾人か見てとれる。しかし、日本の中で朝鮮人として生きていけない人も含めて、さまざまな立場の人がどれほど朝高の活躍に勇気づけられているかわからない。

 今年は祖国が解放されてから60年目の節目にあたる。涙のうちに日本の土になっていった1世の人たちがこの青年たちの日本での活躍を知ったなら、どんな感慨を抱いただろうかと、楽しく切なく想像してみる。

 近鉄大阪線の布施駅辺りを電車で通過すると、車窓から東大阪市役所の壁面に「祝 大阪朝鮮高校」の垂れ幕が見える。かつてなら考えられない。こんな何気ない光景にも胸がつまり、うれしさに目頭が熱くなる。大阪朝高は東大阪地区の代表なのである。

 異国で、外国人として生きる重みを考えてみる。朝鮮の人たちは日本の人たちを愛しているだろうか。日本の人たちは訳あって日本で生まれ育っている朝鮮の子どもたちを愛しんでくれているだろうか。

 どうか安心の中で両者がさまざまな善き出会いを果たし、平和のかけ橋になれるよう、闘い競うのはフェアプレーのスポーツの場だけでありますようにと、青空を仰いだ。(朴才暎、大阪朝高ラグビー部父母会会員)

[朝鮮新報 2005.1.6]