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第20回ラグビー選手権 千里馬クラブ(大阪)が優勝 プレッシャーはねのけ14連覇

 第20回在日本朝鮮人ラグビーフットボール選手権大会が11、12の両日、東京朝鮮中高級学校人工芝グラウンドで行われた。大会には在日本朝鮮人闘球協会の全源治名誉会長(朝鮮大学校ラグビー部監督)、同協会の金武正会長をはじめ、各地クラブの選手、体協関係者、同胞らが集まった。大会1部では千里馬クラブ(大阪)が優勝し14連覇を果たした。2位は高麗クラブ(東京A)、3位は朝大。一方、1日目の夜には浅草ビューホテルでレセプションが開かれ、70歳を期に退任する朝大ラグビー部の全源治監督を参加者ら全員で慰労した。

白熱した決勝

突破する千里馬の選手にタックルを決める高麗の選手(決勝)

 全国各地にある在日朝鮮人主体のクラブチームの交流、競技水準とマナーの向上、各協会との交流と親睦などを目的に開催されてきた同大会も今年で20回目を迎えた。

 今大会には高麗クラブ(東京A、B)、千里馬クラブ(大阪)、京都コリア(京都)、4.24クラブ(兵庫)、朝青クラブ(福岡)、愛知闘球団、朝大の8チームが参加。13連覇中の大阪が優勝するか、それを阻止するチームが現れるかが注目された。

 1部決勝に上がったのは千里馬クラブ(大阪)と高麗クラブ(東京A)。

 大阪の千里馬クラブは全国クラブ大会に11年連続で出場している強豪。また、東京の高麗クラブは今季の都大会1部で優勝。秋に開催される東日本クラブ選手権大会に東京代表として出場を決めるなど、その力は年々増している。

 前評判通りのカードとなった決勝戦では一進一退の攻防が繰り広げられた。試合は、最後まで集中力を切らさなかった千里馬クラブが22−14で接戦をものにした。

 千里馬クラブの高陽浩主将(29)は、「東京が力をつけてきているのは聞いていた。去年に続いて接戦をものにできてよかった。簡単に連覇しているように見えるが、正直、『常勝』というプレッシャーはあった。それを跳ね除けるぐらいに来年もいいチームに仕上げて連覇を続けたい」と語った。

 高麗クラブの金龍洲主将(29)は、「来年は勝つ」と雪辱を期した。

 また、決勝戦を前にして東京朝高×大東大一高校の親善試合があり、東京朝高が21−12で勝利した。

20回記念レセプションも

 1日目の夜に行われたレセプションには、体連の琴栄進常任顧問、東京体協の金希鏡会長などの体連、体協関係者、在日本朝鮮人闘球協会の金武正会長らラグビー関係者らと選手らが参加。一方、関東ラグビーフットボール協会の龍野和久会長など日本のラグビー協会関係者らも訪れる盛大な会となった。

 会では各地の闘球団の紹介などが行われた。

 神奈川朝高・音楽教員の金殷真さん(29)は現在、神奈川闘球団の主将を務める。約15年前に創部した同闘球団。メンバーらは今回、愛知闘球団の一員として初出場した。「ラグビーは闘志にあふれながらもとても紳士的なスポーツ。神奈川朝高にラグビー部はないが、神奈川でラグビーの良さを普及させ、いつか15人で試合に出場できれば」と熱い思いを語る。

 関西ラグビー協会・公認レフリーの櫟明さん(39)は、1994年から同大会でレフリーを務め、今年で11回目となった。

 「在日ラガーマンの一生懸命でひたむきな姿がとても印象的で感動させられることが多かった。これからもレフリーとして大会の発展と交流に携わっていければうれしい」

 最後には、70歳を迎え8月に監督を退任する朝大ラグビー部の全源治監督を慰労する場が設けられた。

 全監督は参加者らの前で勇退のあいさつを述べ、「みんなと今日を祝いたかった。涙が出そうだ…。これ、若いの! 今日はうれしいから今から俺は歌を歌う。よく聞いとけよ」と愛きょうのある笑顔を浮かべた。顔を真っ赤にしながら熱唱する姿に、会場の雰囲気は最高潮に達した。

 また、全監督に感謝の気持ちを込めて花束が贈られ、壇上で握手をしながら涙を流す人もいた。

 全監督は次期監督に就任する、同大外国語学部卒でラグビー部OBの李鐘基さん(26)をみんなの前で紹介した。そして、「これでやっと夜眠れそうだ」と笑い飛ばした。(金明c記者)

在日ラグビー発展のため捧げた人生 70歳を期に退任する朝大ラグビー部・全源治監督

花束を手にみんなの前であいさつする全監督

 在日朝鮮人ラグビーの発展のためすべてを捧げてきた。70歳を迎えてもその元気な姿は健在だ。

 朝大ラグビー部は1968年、九州朝鮮高級学校でラグビーを教えていた全監督の赴任を機に創部された。福岡明善高、東京教育大学(現在の筑波大学)のラグビー部キャプテンとして活躍。その後、朝大の監督に就任した。朝大が文部省(現文部科学省)の認める「1条校」ではなかったため、関東大学ラグビー連盟に所属できなかった。

 同部は88年、初出場した東京都大学クラブ選手権で優勝。その後もクラブ大会で挑戦を続け、99、00年には関東学生クラブラグビー選手権大会で2連覇した。

 在日本朝鮮人闘球協会や日本大学のラグビー部監督らと共に働きかけ、関東大学ラグビー連盟への加盟(00年2月)を実現させた。創部から33年の事だ。

 自身が培ってきたラグビーの全てを朝大ラグビー部に叩き込み、卒業生らが各朝高に赴任してラグビー部を作った。現在、全国にある在日朝鮮人のラグビーチームは、ひとえに全監督の教え子らで構成されているといっても過言ではない。

 この8月で朝大を去る。しかし、監督が築き上げた強じんなフィットネスと低く確実に決まるタックルを信条とした在日朝鮮人ラグビーのカラーは、これからも後輩たちに脈々と受け継がれていくことだろう。

[朝鮮新報 2005.6.23]