東京朝高ラグビー部創部30周年記念フェスティバル 努力と熱意の30年 |
東京朝鮮中高級学校ラグビー部創部30周年記念・ラグビーフェスティバルが9月24日、東京朝高で行われ、約500人が集まった。フェスティバルでは東京闘球団の高麗クラブと三鷹オールカマーズ、東京朝高と國學院久我山高校との記念試合が行われた。試合終了後、校内の食堂でレセプションがあり、体連の鄭智海理事長、東京体協の金希鏡会長、在日本朝鮮人ラグビー協会の金武正会長、東京朝高ラグビー部の申鉉秀監督、同部後援会会長、父母会会長、東京朝高ラグビー部OBらが参加。また、大阪朝高の金信男監督、國學院久我山の竹内伸光監督など日本のラグビー関係者らも招待された。東京朝高ラグビー部OBと関係者らは、懐かしい話に花を咲かせながら30年の歳月を感慨深く振り返っていた。 記念試合、國學院久我山に圧勝
当日は台風の接近にともないあいにくの雨。試合は中止になると思われたが、そんな心配をよそに東京朝高人工芝グラウンドでは選手らが思いっきりピッチを駆け抜けていた。 高麗クラブと三鷹オールカマーズの試合は26−7で高麗クラブが勝利。一方、メインの東京朝高の相手は「花園」常連校の國學院久我山高校。試合はモールからのトライで点差を広げた朝高が45−7で圧勝した。朝高は春の練習試合でも勝利しており、この日の試合を通して観覧する同胞らに全国大会出場への期待を抱かせた。 東京朝高の呉基烈主将(3年)は、「どこと試合をしても勝つという心構えはできている。強豪校に勝って自信もついた。みんなの力で必ず『全国』へ行きたい」と語っていた。 レセプション、「今年こそ必ず花園へ=v
レセプションでは懐かしい顔ぶれが集まり30周年を盛大に祝った。まず東京朝高ラグビー部の金一秀会長があいさつし、「歴代監督やOB、現役選手、学父母らの努力と熱意の積み重ねでここまで来られた。同部選手らが『花園』に行けるようにバックアップしていきたい」と語った。 同校の 愼吉雄副校長もあいさつし、「創部から30年を迎え、ラグビー部が強豪クラブとなったことをとてもうれしく思う。全国大会に出場することにより、来年迎える同校創立60周年に花を添えてほしい」と語った。 大阪朝高の金信男監督も遠路、大阪から駆けつけた。 「無から有を創らなければならない」といつも生徒に言っているという金監督。「東京朝高ラグビー部も運動場、ボール、選手、学校からの援助も何もない中で奮闘し、支持、評価を得てこんにちに至ったと思う。今日の東京闘球団、東京朝高の試合を見て大阪朝高も東京に負けないように初心に戻り実力向上に努めたい」。 また、國學院久我山高校の竹内伸光監督と三鷹オールカマーズの沖谷政海監督も祝辞を述べた。 OBら熱弁
会では創部の75年から今までの30年間、同部発展のために寄与してきたさまざまな功労者らが紹介された。 任吉行さん(55)は7年間、東京朝高ラグビー部の全国遠征のバス運転手を務めた。それから一度も公式戦を逃さず見てきたという。「生徒らががんばってる姿を見て、自分も何かやってあげなくてはと思い始めた。生徒らがベストコンディションで試合に出られるように、男ならしっかり3年間やってみろって見守ってきた」。 「日本の高校がうちのグラウンドに来て試合をするなんで想像できなかった」−こう話すのは75年の創部当時、高3だった高秀元さん(48)。後援会第1期会長も務めた。 創部当時のラグビー部はほかのクラブに属さない「悪童」たちの集まりだったという。ルールも知らずにただボールを追いかける日々の中、隣接する女子高に勤務するある先生が自らの経験を生かしたいとグラウンドの金網を潜り抜けて指導を買って出てくれたというほほ笑ましいエピソードもあるほど。 高さんは、「創部当時は、数人の有志らで作った部で2、3年で廃部になるだろうと思っていたが振り返ればもう30年、あっという間だった。今年こそ『花園』の地を踏んでもらいたい」と力を込めた。 申鉉秀監督は、「『花園』は毎年狙っている部の目標。創部30周年の節目の年だからといって、力の入れようは変わりない」と意気込む。また、ラグビー部を指導して18年目になる今年、「必ず『花園』へ行く」と心に誓っていた。(金明c記者) [朝鮮新報 2005.10.6] |