〈手記〉 FIFAU−17世界選手権 朝鮮代表コーチとして参加して |
祖国の配慮により、9月16日から10月2日までペルーで行われた「第11回FIFA、17歳以下世界選手権(以下、選手権)」に、朝鮮代表チームコーチとして選出された。今回の選手権を通じて、朝鮮代表の未来に無限の可能性を見出すことができた。 目標はベスト8
代表の当初の目標はベスト8進出。大会1カ月前からは、戦術的な練習を中心に、プレッシングの徹底、中盤でのボールキープ率向上を目指し、スピードに乗った攻撃で多くの得点機会を作り出すべく練習に力を注いだ。 事前の国内合宿では、国内リーグ1部の強豪クラブやA代表とのテストマッチなどを通じて、戦術的にもかなり成熟させることができた。 9月8日に平壌を出発し、中国で3日間の合宿、そして11日に経由地のアムステルダムへ出発、13日に開催地であるペルーに到着した。16カ国が参加する今大会で朝鮮は、イタリア、米国、コートジボワールと同組となった。 初戦の相手である米国は、第1回大会から11大会連続で出場しており、またユース年代の育成に定評があるだけに、こちらも警戒していたが、開始13分に早々とこちらのミスで失点を許してしまう。そこから反撃し、ボール支配率、シュート数でも相手を上回る攻撃を見せるが、運にも見放され、結局2−3で敗戦となった。 必ず勝たなければならないという重圧の中で迎えたコートジボワール戦。相手はアフリカのチームだけあって身体能力が高く、ショートパスを繋いでくる侮れないチーム。われわれは、相手に合わせるのではなく自分たちのリズムで試合を進めるよう強調して、選手たちを試合に送り出した。 結果は前半に3得点し、早々と試合を決定づけ3−0で勝利をものにした。この勝利は、朝鮮のサッカーがフィジカル、個人技、戦術において、十分に世界レベルにあることを証明した。 予選リーグ最終戦のイタリア戦は、ともに1勝1敗という負けられない状況で迎えた。得失点差で上回る朝鮮は引き分けでも予選リーグ突破という有利な状況であったが、相手はサッカー大国であり、平均身長が180センチ以上、身体的には不利が予想された。 しかし、朝鮮代表は瞬間的なスピードと闘志を前面に出してイタリアを圧倒、前半を1−0とリードして終えることができた。勝たなければ予選リーグ敗退のイタリアは後半、最後まで攻め続けるが、結局失点はロスタイムの1点のみに抑え、見事朝鮮はベスト8へ進出した。 「コリア」コール 予選リーグを終え、負傷者もおり、慣れない食生活や気候、選手たちの疲労度はピークに近かった。そして準々決勝のブラジル戦が行われる場所はアマゾン地方で、夕方にもかかわらず気温は36度もある中で、試合はキックオフとなった。 世界一のサッカー強豪国ブラジルを迎えた朝鮮代表であったが、選手たちに焦りは感じられなかった。ブラジル相手に試合序盤から互角に渡り合い、惜しいシュートも何度かあった。ブラジル相手に負けるだろうと予想していた観衆も、朝鮮代表のパフォーマンスに驚き、次第に観客席からは「コリア」というコールが起こり始めた。 一進一退の攻防が続いていたが、均衡を破ったのはブラジル。しかし朝鮮代表も諦めず、次第に中盤でボール支配するようになり、試合終了8分前、同点ゴールが生まれた。試合はそのまま延長戦に突入するが、試合巧者のブラジルは少ない得点機会を確実にものにして、延長戦に2点を追加し、結局1−3で敗れた。 シュート数が朝鮮16、ブラジル14、コーナーキックが朝鮮8、ブラジル4という結果を見ても、敗れたとはいえブラジル相手に善戦したことがわかっていただけると思う(ブラジルは準優勝)。 今回の大会は、朝鮮サッカーの発展において大きな一歩を踏み出した大会となった。私は今大会、朝鮮代表コーチとして参加し、朝鮮サッカーの発展に貢献できたことを心から誇りに思う。今後も朝鮮サッカー発展のために全力を尽くし、少しでも祖国に貢献できればと思う。 最後に選手たちへ心からごくろうさま、よくやったと言ってあげたい。(梁相弘、在日本朝鮮人蹴球協会、副会長) [朝鮮新報 2005.10.14] |