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「トラウマ」

 平壌で常駐記者をやっていた時、取材相手と意気投合して食事を共にすることや、結婚式やピクニックに招待されることがよくあった。

 その際、例外なく酒を大量に飲まされるほか、歌を歌わされることも時折あった。酒は気合いで何とかクリアできるものの、芸術とはおよそかけ離れた生活をしてきたので、歌はかなりつらいものがあった。

 結婚式で突然、「日本から今日のめでたい日を祝ってくれるため、朝鮮新報の記者が参加しています」と紹介され、祝いの場にまったくそぐわない悲しい歌を歌ってしまったことや、ある市民の家で一族が集まって行われた新年会で、小公演を披露してくれた子どもたちの「公演の最後を飾るのは、朝鮮新報の記者先生の歌です」との紹介に頭の中が真っ白になったことなど、いま思い出しても赤面してしまう。

 昨年4月から同胞生活部に移り、これからはこうした恥ずかしい思いをしないで済むと思っていたが、そんなに甘くはなかった。

 愛知のデイハウスに取材に行った際、ハルモニたちが朝鮮の歌をみんなで歌ってその日の日課が終わったと思った瞬間、「それでは最後に、今日一日付き合ってくれた記者さんに歌を歌ってもらいましょう」という思いがけない一言が。

 平壌にいた頃の苦い思い出がよみがえり、真っ白になりつつある頭を必死に働かせながら、ハルモニたちが使う歌の本のページをめくる。アカペラ(といえる代物ではないが)なので音程はズレる、緊張のため声は天然「ビブラート」。

 「穴があったら入りたい」気持ちでようやく歌い終えると、ハルモニたちは満面の笑みで盛大な拍手を送ってくれた。これは朝鮮でも日本でも同じで、とてもうれしい。

 トラウマになりかねないほど苦手な歌だが、同胞たちの喜ぶ顔を見られれば、マイナスよりプラスの方が大きいかもしれない。(松)

[朝鮮新報 2006.1.10]