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〈夢・挑戦−在日スポーツ人〉 健康運動指導士 李節子さん

 「人々を元気にさせるスペシャリストになりたい」−李節子さん(57)の言葉の端々からはエネルギーが満ちあふれていた。厚生労働大臣認定・健康運動指導士、文部科学省公認スポーツプログラマー、朝鮮大学校非常勤講師、在日朝鮮人陸上競技協会理事長、日本陸上競技連盟S級審判員、NPO法人CS21理事など、スポーツを通じて同胞女性の活躍の場を広げてきたその功績は大きい。

 「スポーツウーマン」−李さんのパワフルな行動力を見ると、そんな言葉が似合う。

 現在は、日本陸連の女性委員会委員として日本陸上選手らの強化にも携わり、50歳でS級審判を取得、日本陸連主催の全国レディース陸上競技大会などで審判長も務める。また、朝大・体育学部講師として授業を受け持ち、学生にスポーツの楽しさを教える傍ら、デイホームで介護施設などのリハビリ体操講師として自立支援に携わっている。

 中でも大きな力を注いできたのが「ピポ・ユニバーサル駅伝」(主催=NPO法人CS21)だ。「日本社会の中で在日という看板をアピールし、差別のない社会作りに貢献したい」−ここに李さんの思いがぎっしり詰まっている。

 02年から高齢者も障害者も健常者も誰もが楽しめる同駅伝を開催し、その普及に取り組んだ。同駅伝は、小学生、視覚障害者、車イスの人、高齢者(60歳以上)、健常者でチームを編成して走るというもの。昨年の9月、東京・明治神宮外苑の絵画館コースでの開催で4回目となり選手とボランティア約500人が参加した。

川崎「アリランの家」でハルモニたちと共に健康体操をする李さん

 「みんなが安心してスポーツができる環境作りを目指して、高齢者、障害者らが家にこもらず、スポーツの楽しさを味わって社会に出るきっかけをもっと作っていきたいという思いではじめた」

 李さんは10人兄弟の末っ子。2歳の時に父が他界した。小学校から大学まで日本学校に通った。その背景には、こんなエピソードがある。

 6男の兄が高校からウリハッキョへ。高2になると母親の反対を押し切って祖国に帰ってしまった。

 「新潟港で『アイゴー』と泣く母の姿が今でも忘れることができない」。離別の悲しさから、母は李さんをウリハッキョに送らなかったのだという。

 中学から陸上競技を始めた。

 その後、メキメキと実力をつけ、高校時代はインターハイへ出場。種目は80mハードル。国体選手候補の合宿にも参加するほどの実力を備えた。しかし、国籍の壁で国体出場は果たせなかった。

 その実力を買われ日本女子体育大学に特待生として入学。運動生理学を専攻し「保健に関することがとても好きだった」と語る。しかし、腰を悪くしてやむなく休部。結果を残せなかった。

朝大体育学部の「余暇体操」授業を終え、障害者らと共に(03年、2月、前列左端が李さん)

 一方で在日本朝鮮留学生同盟に所属し、その活動にも力を注いだ。当時から教員志望が強く、「どうせ行くならウリハッキョ教員に」と決めた。

 71年から10年間を東京朝鮮中高級学校で、それから18年間を神奈川朝鮮初中高級学校で過ごした。

 東京中高に赴任した時、朝鮮大学校からもたくさんの教員が赴任してきたが、日本の大学からは李さん一人だった。

 「挫折や苦労もあったけど『やめてたまるか』という意地と根性で乗り越えた。何よりも授業が好きだったし、生徒の成長や笑顔からたくさんのパワーをもらってきた。最高の仕事だった」

 28年間、ウリハッキョの体育教員として過ごした。充実した教員生活だったが、後ろ髪をひかれる思いで99年、現場を去った。半端な気持ちでやめたのではない。夢があった。

 「在日同胞、日本社会のさまざまな現場でハンディを持った人や高齢者らに喜んでもらえる幅広い活動を模索したい」。そんな強い思いを抱き、新たな世界へと飛び出した。50歳の時だ。

 教員をやめた年に朝大講師としての話が舞いこんできた。二つ返事で了承した。

 学生たちには「余暇体育」の授業を実施し、健康作りのための運動処方や高齢者や障害者ために続ける。

 「自分のやりたい方向とぴったりマッチした。学生たちの間でも、同胞社会のニーズもあって福祉への関心が高まりつつあったのでやりがいがあった」

 3人の子育てをしながら、夢を追い、今まで続けられたのは夫や家族の理解があってこそだと振り返る。

 そんな李さんの人生に待ったはない。05年には厚生労働大臣認定の健康運動指導士の資格を取った。生活習慣病や介護予防などその人の状態に合った運動処方のプログラムを作れるというものだ。「厚い教科書が3冊、びっしりメモされたノートが4冊。生涯、こんなに猛勉強した記憶はない」。この資格を生かして同年11月に保健師の友人と健康増進産業となる会社を設立した。社名は「団塊の世代をシャッキリ世代へと」という思いで「(株)シャッキリカレッジ」。

 まだ始まったばかりの会社だが、静岡で行った「健康リフレッシュツアー」は好評を博し、静岡テレビでも取り上げられた。いずれ有資格者を増やし、健康セミナーや有料老人ホームなどの講師派遣や健康温泉ツアーの企画などを手掛けていくつもりだ。

 「社会を元気にする仕事だし、あらゆる現場でみんなの喜ぶ笑顔を見たい。それが私の生きがい」(金明c記者)

 △「(株)シャッキリカレッジ」東京都大田区中馬込1−11−9(TEL 03・5709・3238)。ホームページ=http://manzoku-life.com

[朝鮮新報 2006.2.2]