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山口・宇部 長生炭鉱水没事故の犠牲者を追悼する会、64年間 海底に放置 日本政府に強い怒り

 朝鮮人130数人を含む183人の犠牲者を出した旧長生炭鉱水没事故(1942年2月3日)から64年が過ぎた。事故現場となった山口県宇部市西岐波の海に今も残る2本のピーヤ(通気、排水口)が見える海辺で4日、14回目の追悼会が行われた。遺族8人と「長生炭鉱の『水非常』を歴史に刻む会」、山口県朝鮮人強制連行真相調査団のメンバーをはじめとした支援者、総連、民団の代表と同胞、市民ら約150人が参加した。前日には遺族らが山口県庁と宇部市役所を訪れ、追悼碑の建立などを要請した。

遺族ら悲痛な訴え

黙とうを捧げる遺族ら

 「64年間も冷たい海の底に閉じ込めたままだ。あの世で会ったとき何て言い訳すればいいのか…」

 14回目の追悼会に訪れた遺族たちは声を震わせながらこう訴えた。

 「まともに立っていられないくらい寒いのに、海水に流され海底に生き埋めになった人たちはどれだけ寒く、苦しく、悔しかったことか…」

 初めて参列した日本人は、64年前の悲惨な事故を想像し、犠牲者と遺族たちの無念さに思いをめぐらせた。

 追悼会では、参加者たちが海に向かって黙とうし、花を捧げた。また、日本長生炭鉱犠牲者遺族会の代表が弔辞を朗読し、追悼歌を歌い、朝鮮式の祭祀を営んだ。

 金亨洙会長(65)は「遺族たちも高齢化し、前会長をはじめ亡くなった人もいる。あの世でアボジに会ったとき、64年間も海の底に放置してきたことを何て説明しろというのか」と日本政府に対する憤りを表し、謝罪と犠牲者の名前を刻んだ追悼碑の建立を訴えた。

 強制連行されたアボジが海底に眠っているという朴源奎さん(69)は「来たくない所に来て胸が押し潰されそうだ。目の前に犠牲者が埋まっているのに64年間もほったらかしにしているのは日本だけだ」と涙ながらに訴えた。

日本の責任刻んだ碑を

 追悼会には、昨年4月に現地調査を行った南朝鮮の日帝強占下強制動員被害真相究明委員会から送られてきた追悼の辞が朗読された。

 追悼の辞は「日帝の非人間的行為を早急に調査、公開し、誤った歴史を正し、再びこのような惨事を再発しないようにするため真相調査に着手した。遺族と共に、追悼事業に最善を尽くす」と強調した。

 同調査委には20万件以上の被害申告が寄せられた。長生炭鉱の犠牲者については133人の申告が行われ、約40人の遺族が確認された。発掘調査なども求められているが、まずは日本の責任を明確にし、犠牲者の本名を刻んだ追悼碑の建立のために最善を尽くすとしている。

 追悼会の支援を行ってきた「水非常の会」(代表=山口武信)は、長生炭鉱の真実を歴史に残すため、市民らによって1991年に発足された。事故の真相を調べ、遺族を探して追悼会の支援を行ってきた。これまで延べ100人の遺族が現場を訪れた。

 同会は、山口県や宇部市に対して遺体の収容や追悼碑の建立を訴えてきた。唯一の「墓標」となっているピーヤの見える場所に追悼碑を建てるため、土地提供の交渉も行っている。メンバーらは「他国に侵略した日本の責任、多くの朝鮮人が犠牲になった事実を碑に刻み、二度と過ちが繰り返されることのないよう後世に語り継がなければならない」という。

朝鮮人は無視

 1939年から、「募集」などの名目で1300人以上の朝鮮人が長生炭鉱に連行された。が、実際には「役所の指名でしょっぴかれた人たちがほとんどだ」との証言がある。朝鮮人労働者たちは、木格子で囲まれた寮に入れられ、厳しい監視の下で生活した。犠牲者の70%以上が朝鮮人だという事実は、朝鮮人労働者が10数キロメートルも掘られた海底炭鉱のもっとも危険な場所で働かされていたことを示している。

 事故については長い間、地元でタブーとされ、ピーヤの意味を知る者も少なくなっていたという。「水非常の会」などの活動によって真実が伝えられるようになった。

 強制連行調査団などが昨年4月に開いたシンポジウムや真相究明委の現地調査などによって、広く知られるようになり、朝鮮半島出身者の遺骨問題が取り上げられる大きなきっかけにもなった。山口県では、日本で初めて遺骨問題の情報提供を募る窓口が各自治体に設置されるなど、地域レベルでの動きは活発になっている。しかし、日本政府は64年間、放置している。

 日本政府は2日、太平洋南部のニューギニア島に放置されていた旧日本兵の遺骨141体を収骨。厚生労働省はDNA鑑定なども行うとした。

 日本人なら海外にまで行って遺骨を探すが、朝鮮人なら目の前にあっても無視する−そんな非人道的行為が日本では今でも公然と行われている。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2006.2.14]