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〈投稿〉 「尹光子個展」を観て、印象的な白色の美しさ

 日頃、絵画を観る機会がない私に、尊敬する朴鳳瑄先生の夫人、尹光子女史の個展開催の案内状が送られてきた。

 小さな画廊には大小のさまざまな風景画が展示されていた。ただ1点のみ色模様(セットン)のチョゴリ、パジ姿の男の子の絵が掛けてあった。最初は違和感を覚え、聞いてみようかと考えている間に、なるほどと私なりに納得した。尹光子女史は、日本の風景画を描いているが「この個展を開いた私は朝鮮人ですよ」と、パジチョゴリの男の子の絵を正面に掛けて示したのではなかろうか?

 素人眼の私には、ただ女史の風景画は美しい、きれいだという言葉しか見つからなかった。案内状にあった「小さな湖の秋」は、画廊に掛けられた絵の中で一番大きいもので、まさに大作というべきものであろう。絵の専門家でもない私が、大作云々は軽々しく言うべきではないが、なぜかこの絵の前でしばらく眺めていた。じっと見ていると、現実の風景を観ているような気になった。また近くでよく見ると、画面全体もさることながら、隅々の細かなところも丁寧に描かれていることに気がつく。

 雲、山波、森、色とりどりの草木それらを鏡のように写し出した湖面の姿を美しく描いている。私が驚いたのは、普通の人には気が付かないであろう足元の風景を見事に描いていることである。湖畔に座っている女史の目には、遠くの風景の美しさもさることながら、目の前にあるもう一つの風景、大小の紅葉の木々や、名もない草、落ち葉もまた、美しい風景として鮮明に写ったのだろう。枯落葉の1枚1枚にも手を抜くことなく繊細に描かれていることに感心した。遠くの風景と、それを写した湖面と足元の風景が、立体に構成されたすばらしい作品だと思った。

 展示された作品から、私に強烈な印象を与えたのは、白色である。波しぶきの白、野菊の花びらの白、無窮花の白、雲の白などが数日経った今も、私の脳裏に浮かんでいる。白色は昔から陶磁器、チマ、チョゴリ、家の白壁などに使われ、朝鮮民族が最も好む色である。私は、女史が画面の中に白色を鮮明に描いているのは、在日同胞が日本の社会に同化していく流れに抗して闘ってきた女史の民族魂を見る思いがした。(鄭晋和、歴史研究者)

[朝鮮新報 2006.2.22]