top_rogo.gif (16396 bytes)

在日朝鮮人歴史研究所の呉亨鎮所長に聞く 在日朝鮮人の歴史資料の収集事業をさらに拡大

 −一昨年の5月、総連第20回全体大会で新設された在日朝鮮人歴史研究所の呉亨鎮所長に、今までの成果とこれからの課題について話を聞いた。

 −在日朝鮮人歴史研究所の設立から1年5カ月が経つが、この間の特徴的な成果としてあげられるのは。

 呉亨鎮所長(以下呉):設立からの期間が短く、経験も不足していることから大変なことが多い。しかし、総連中央をはじめとするさまざまな分野の方からの支援もあり、いくつかの成果を収めることができた。

 大きくは4つの特徴的な例をあげることができる。

 第1に、祖国解放60周年と総連結成50周年を迎えた昨年、総連中央からの委任を受け、便覧「総連」(朝鮮語版、日本語版)と写真集「総連の誇りある道のり」を編集、出版したことだ。

 総連についてわかりやすく解説しているだけでなく、豊富な内容が盛り込まれているこれらの書籍は、朝鮮新報と同ホームページ、また、朝鮮の「労働新聞」「民主朝鮮」などを通じても広く紹介された。また、これらの書籍は昨年10月、平壌で行われた記念図書展覧会にも展示され、人々の関心を集めた。

 私たちは、これらの書籍が総連の各組織と活動家はもちろん、朝鮮と海外同胞組織、ひいては日本人士の中でも活用されていることについてうれしく思っている。

 第2に、在日朝鮮人運動と総連事業に関する貴重な歴史的資料を積極的に収集したことだ。

 長い年月が経ち、内外の反動による弾圧が繰り返されたうえに、在日朝鮮人運動を一線で開拓してきた1、2世の活動家と同胞らの多くがこの世を去り、組織的な資料管理がままならなかったことから、当然あるべき貴重な資料が多数なくなったり入手不能となった。

 私たちとしては、それが一番心苦しく、資料収集上で一番困難なことだった。

 しかしこの間、研究所の事業に深い関心と理解を持つ方々の積極的な支援により、この1年半の間に5000余に上る各種文献、書籍や多くの写真、ポスターなどの資料を収集する成果を収めた。

 たとえば、60余年も経ったことから入手が困難と思われた朝聯中央本部の機関紙である「朝聯会報」「朝聯時報」の一部を見つけ出し、1947年8月15日に発行された「朝聯中央時報」は創刊号から136号までを入手した。

 また、当時の地方紙である朝聯東京、朝聯大阪、朝聯神奈川、朝聯広島、朝聯新潟の各時報、「朝鮮商工時報」「朝鮮経済時報」「女盟時報」や、雑誌「青年会議」「学童時報」と各種文芸雑誌などもすべてではないが、新たに見つけ出した。「4.24阪神教育闘争」当時の一部資料も入手した。

 その大部分は解放直後、GHQが朝聯を強制解散させた時に押収、保管していたものだ。その他にも朝聯、民戦、総連結成初期の雑誌や写真なども入手できた。

 海外で大学教授をしている方が、長年大切に保管していたという1945年10月15日号「民衆新聞」の特集号(複写資料)も研究所で入手できた。

 私たちがこれまで探してきた資料のひとつであるこの「民衆新聞」特集号は、1945年10月15日、解放直後、初の愛国愛族組織だった在日本朝鮮人聯盟結成大会(日比谷公会堂)の2日目の大会(両国公会堂)の時に場内にまかれ大きな波紋を呼んだ新聞のひとつだ。

 特に、総連映画製作所が保存、管理している解放直後からこんにちにいたる期間の在日朝鮮人運動と総連の活動を撮影した数百巻に上る各種「記録フィルム」は、まさに「国宝」的な価値を持つ資料であり私たちの財産である。

 研究所では、宝物のような新たに見つかった貴重な資料を入手するたびに喜びと感激を抑えることができない。これらの貴重な資料を保管し、後代に責任を持って引き渡さなければならないという決意を新たにしている。

 第3に、在日朝鮮人運動、総連事業発展のために一生を捧げてきたベテラン活動家の「証言」を収集する活動を推進したことだ。

 現在までにおよそ30人のベテラン活動家からの証言を集めた。これらの「証言」を通じて、新たに知った事実が多く、見習う点も多い。

 特に、内外の反動による度重なる反朝鮮、反総連策動に打ち勝ち、総連が代を次いで半世紀以上も愛族愛国運動を展開してこられたのは、金日成主席と金正日総書記の構想に沿って、青春時代からあらゆる犠牲と困難に打ち勝ち、血と汗を流してたたかってきた核心、愛国者がいたからであり、60余年にわたる在日朝鮮人運動の苦しいたたかいと誇りある成果の中には、反動によって犠牲となった人々、たたかいの中途で殉職した人々、多くの愛国烈士、隠れた愛国者たちの大きな功績が染み込んでいるということをさらに深く知ることができた。

 第4に、総連20全大会で同胞と新しい世代たちに総連の歴史を伝えるための方向性が示されたのに沿って、各組織と学校で「沿革資料」と歴史記録を作成し、同胞と後代に伝えるための活動を促したことだ。

 過去、「沿革資料」を発行したところ以外でも、体連が結成50周年に際して「在日本朝鮮人体育連合会50年沿革史」を、大阪朝鮮学園が「大阪民族教育60年誌」を発行した。平和統一協会、東京・足立商工会、朝青京都府本部、兵庫社協、大阪顧問協議会などで記念出版物を発行した。

 その他にも、総連東京・板橋支部と台東支部、東京朝鮮第3初級学校、朝鮮大学校、朝青中央などさまざまな機関で沿革資料の発行準備を進めており、商工連合会などではビデオ、DVD製作を計画している。

 また、各地で総連顧問と青年学生たちとの交流会、ベテラン活動家と同胞たちの中で回顧録と自伝などを書く雰囲気も高まっている。

 こうした資料は総連の愛族愛国の歴史を内外、特に新しい世代に伝えるうえで意義のある資料となるだろう。

 −今年度の研究所の事業計画と構想は。

 呉:研究所の中長期的な計画と構想もあるが、2006年度は当面、在日朝鮮人歴史研究所としての質を高めるところに大きな関心を持ちながら、以下の3つの事業に力を注いでいくつもりだ。

 総連のすべての組織が新年の共同社説と祝電の要求に沿って、すべての部門で一大攻勢をかけて実績を上げることで、21全大会を成功裏に迎える決意を持って活動しているが、私たちも足並みをそろえて、第1に、歴史資料の収集事業をさらに拡大する計画だ。

 経験を通じて私たちは、「そのような資料はもう出てこないだろう」と考え諦めてしまえば資料は見つからず、「どこかに必ずあるはずだ。誰かがその資料を持っているはずだ」と考え根気よく探し多くの人々の知恵と力を集めれば、貴重な資料が出てくることもあるという教訓を得た。

 今後、私たちはいまだ十分とはいえない在日朝鮮人運動初期の緊要な文件、写真、映像資料を探し出すために積極的な活動を展開していくつもりだ。

 たとえば、1945年度版「民衆新聞」は現在、1部しか入手できていない。「朝鮮新報」の広告を通じて訴えたように、提供者には謝礼金を出すなど、あらゆる手段と方法で必要な資料を最大限収集していく。

 総連中央資料室、朝鮮大学校図書館、朝鮮新報社をはじめ、出版機関の資料室とも積極的に協力関係を築いていく。

 第2に、在日朝鮮人歴史研究所で収集した資料に基づいた研究を深化し、在日朝鮮人運動の理論化に寄与する。

 歴史研究とは、現在の課題の解決法を過去の歴史の経験と教訓から見つけ出し、未来を志向するところに意義があると思う。

 研究所では時宜にかなったテーマに沿った「研究会」を適宜に開き、研究を深化させ執筆事業も続けていく。

 朝鮮の研究者、組織内の社会科学者との連携も深めていく。

 第3に、今後在日朝鮮人運動に関する「証言」をもらうべき対象を、中央に限らず地方本部の支援も得ながら、地方にまで拡大、充足させるつもりだ。

 朝鮮新報社の記者たちも積極的に協力してくれることを望んでいる。

 −「朝鮮新報」の読者に伝えたいことは。

 呉:前述したように、活動期間が短いうえにいまだ多くの難関があるために、研究所の事業を発展させるためには多くの人々の協力が必要となる。

 「朝鮮新報」を通して研究所の活動が紹介された後、読者をはじめ多くの人々が研究所に訪ねてきて激励の言葉をくれた。また、130余人の各階層の活動家や学者、文化人、一部日本の人々も資料提供と「証言」などで支援してくれた。

 資料を整理、保管するために必要な機材を寄付してくれた人もいる。私たちは大きな勇気と力を得ている。

 これからも、読者の皆さんが組織と同胞社会、特に後代のためになる在日朝鮮人歴史研究所事業に多くの関心を持って物心両面で支援してくれることを望んでいる。

 これからもがんばって、皆さんの期待に応えていきたい。

[朝鮮新報 2006.2.23]