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北南行事で出会った日本人

 日本に奪われた朝鮮民族の文化遺産である北関大捷碑が、北と南の共同の努力によって100年ぶりに返還された。1日、開城市で行われた碑の引き渡し式では、200余人の北南の関係者らが喜びを分かち合った。

 北関大捷碑は1905年、日本軍によって略奪され靖国神社に放置されていたが、北南の民間団体と当局の要求により昨年10月、日本からいったん南側に渡り、3月1日、もともとあった咸鏡北道金策市に戻すべく、北に引き渡された。碑はこの日、陸路で開城市に入り、式が行われたあと、金策市へ運ばれた。

 その現場に1人の日本人の姿があった。三重県で活動するフォトジャーナリストだという。

 「10余年前から北関大捷碑が気になっていた」と話す彼は、碑の行方をずっと追いかけて、昨年、南朝鮮での引き渡し行事なども取材したそうだ。

 これまで、植民地時代の人的被害について取材してきた彼は、文化遺産にもスポットを当てるべきだと思って取材を始めた。

 「65年の日韓条約によって、韓国政府は文化財の返還で制約を受ける。このような状況で今回、南北が協力して初めて返還を実現させたという点にも注目している」

 日本に奪われ返還されていない文化財が3万点にも上るという統計がある中で、彼は同日の行事の意義を世論に訴え、全面的返還のきっかけにすべきだと話していた。

 北南行事を取材する日本のメディアといえば、「美女応援団」など興味本位のものが多いが、彼はまったくその類ではなかった。

 文化財返還を促進させるような内容を、日本のメディアがこころよく扱ってくれないと心労を漏らす彼の姿に、事実上の「報道統制」をあらためて感じる。一方で、朝鮮蔑視の風潮が強まる日本社会でもこのような活動をしている人びとに頭が下がる。(姜)

[朝鮮新報 2006.3.14]